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政友会結成 1900/09/15
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用義和団鎮圧の見通しがついた九月十五日、伊藤博文を総裁とする立憲政友会の発会式が行なわれた。
自由党の後身である憲政党はみずから解党して政友会にはせ参じていた。
伊藤は前年清国視察から帰ると、新政党組織のための遊説を精力的に行なっていたが、彼の演説の一つの力点は、
経済的な海外進出の重要性を説くことであった。
最近の戦争は経済的利権をめぐる戦争であると述べた伊藤は、帝国主義時代の基本的な特徴を認識するとともに、
帝国主義政策を遂行するために実業家を中核とする政治勢力を結集、拡大し、安定した政府をつくることが必要と考えたのであった。
政友会結成にあたって、各地の商業会議所会頭、資本金十万円以上の銀行頭取、資本金五万円以上の会社社長などに入会勧誘状が発せられているのは、
伊藤のこのような意図によるものであった。
古屋哲夫 「日露戦争」
P.22この本を入手
引用竹越の『陶庵公』には次のような話が出ている。
三十二年四月のある夜、西園寺は竹越と岡崎邦輔(陸奥宗光の従弟、自由党、憲政党の代議士、
後政友会総務、第一次加藤高明内閣の農相)に対して、
「伊藤が政党を組織した場合憲政党はその中心となる気があるだろうか」と問うた。
これに対して二人は「全党をあげて賛同するであろう」と答えた。西園寺は伊藤にこの情報を送り、
「漠然と散漫なる分子を糾合するよりも、既成の憲政党を基礎としてこれに新鮮な分子を加え新党を作るが得策であり、
公が起てば自分も賛同しよう」
とすすめた。
豊田穣 「西園寺公望(上)」
P.291この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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