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伊藤内閣C成立 1900/10/19
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用予想通り三十三年九月二十六日山県は伊藤を困惑せしむる為早期に内閣を投げ出し、
十月十九日伊藤が第四次内閣を組織した。
メンバーは外務・加藤高明(岩崎弥太郎の女婿)、内務・末松謙澄、大蔵・渡辺国武、陸軍・桂太郎、
海軍・山本権兵衛、司法・金子堅太郎、文部・松田正久、農商務・林有造、逓信・星亨で西園寺は班列といって国務大臣扱いでポストがない。
伊藤政友会の御曹子ともいうべき侯爵の扱いがおかしいではないかと、一族の者が眼をこすっていると伊藤から呼び出しがかかった。
首相官邸にゆくと、
「あんた、総理をやってくれんか」
という話である。
「え? こちが?・・・・・・」
と西園寺は思わず自宅での口癖を出した。
伊藤はにやりとした。
義太夫では芸者が愛人のことを「ちょいとこちの人」と呼びことがある。
「いやあ、代理でいいんだ。しばらくやってもらいたい」
伊藤はそう言ってビスマルクもどきに葉巻をふかした。
この頃ではビスマルクよりも偉いと思っているようである。
「しかし、私は前歴が(文部大臣と外務大臣をやった位で内務、大蔵などの重要なポストがない)・・・・・・」
と西園寺が言いかけると、
「西園寺さん、経歴などは自然に出来るもんだ。
あんたには私の後を継いでもらわにゃならん、総理も場数を踏んでおいた方がええ」
そう言って伊藤は微笑した。
「しかし、伊藤さんがなったばかりで代理を立てるのでは、理由が立たないでしょう」
「わしは病気じゃよ」
「え?」
「わしは演説のやりすぎでのどが痛い。
しばらく静養して政友会の名簿でも整理するとしよう」
このようなわけで西園寺は十月二十七日から十二月十二日まで総理大臣臨時代理を命じられた。
伊藤はこの頃のどを傷めていたというが、実のところは西園寺に総理の予習をやらせて、自分は政友会の人材集めを行い、
眼を細めながら二代目の練習ぶりを眺めていよう、というあたりが本音だったようである。
豊田穣 「西園寺公望(上)」
P.296この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
「伊藤内閣C」は「第4次伊藤内閣」「第四次伊藤博文内閣」と同じ意味です。 |