正岡子規病死
1902/09/19
従軍記者の血をたぎらせながら。 巨星 子規、病床に死す。
    
1902/01/30   日英同盟@調印
1902/09/02   東京専門学校、早稲田大学と改称
1902/09/19   正岡子規病死
1902/09/29   エミール・ゾラ没
1902/10/09   ユゴー作、黒岩涙香訳「噫無情」連載開始 (万朝報)
1904/02/10   対露宣戦布告 (日露戦争勃発)
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用子規が死んだのは、明治三十五年九月十九日の午前一時である。
この前日の十八日は、日中は医者がきたりたれが来たりして、人の出入りがあり、 病室でずっと眠ったように仰臥している子規にも人の声がとどいたらしく、
「いま、たれが来ておいでるのぞい」
と、妹のお律にきいたりした。
「キヨシさんです。それに秉さん。それと・・・・・・」
と、お律がいちいち名前をあげてゆくと、子規はもう表情のない顔でうなずいたりしていた。
夜になると、みな帰ってしまい、ちょうど当番にあたっていた虚子だけが残った。
子規は、蚊帳の中にいる。 ねむっているのか、けはいがしずまっている。
夜半、虚子は隣室にふとんをしいていたが、どうもねむれそうにない。庭へ出てみた。
すでに十二時をすぎている。
庭の糸瓜の棚に夜露がおりているらしく、二、三枚の葉が光っていた。 光っているのは、十七夜の月があかあかとのぼっているからである。 この日、旧暦の十七夜にあたっていた。
虚子は座敷にもどると、子規の蚊帳のそばに、母親のお八重が小さい影を作ってすわっていた。 お八重はこれより前、自分の部屋で二、三時間ねむった。 虚子と睡眠を交代するために起きてくれたのである。
「キヨシさん、お休みください。またかわっていただかねばなりませんから」
と、いった。
虚子は蚊帳をのぞいた。子規はよくねむっているようであった。
「お律も」
と、お八重は寝かせようとした。
虚子は隣室にひきあげ、横になった。 あたまのなかに冴えざえと占めているのは、さっきみた十七夜の空である。 晴れぐあいがおそろしいばかりで、大きな月がひとりうかんでいた。
虚子はわずかに眠ったらしい。
ねむったとも思えぬころ、ひどく狼狽した声で、キヨシさん、キヨシさんと隣室からよんでいる。 お八重の声であった。虚子ははねおきた。
あとできいてみると、お律はまだ寝ていなかったらしく、母親とうちわを使いながら話をしていた。 途中ふと蚊帳の中が気になり、のぞいてみると、子規はもう呼吸をしていなかった。
「兄さん、兄さん」
と、お律は泣きながら子規をよびもどそうとしたが、子規は答えない。
「お律、お医者さまを」
と、お八重は、さすがにとりみださずにきびしく命じ、しかしそのあと虚子をよんだときはせきこんでいた。
お律は、はだしのまま隣家へ電話を借りにゆくべく走った。
虚子は、表情のとぼしい男である。 子規の顔をじっと見つめていたが、やがて立ちあがった。 近所にいる碧梧桐や鼠骨をよびにゆくためであった。
そとに出ると、十七夜の月が、子規の生前も死後もかわりなくかがやいている。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。