西園寺公望、政友会総裁A就任 1903/07/14
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用十三日西園寺は枢府議長を退き、翌十四日政友会総裁に就任した。
ここで西園寺の『自伝』によってこのあたりの動きを展望しておこう。
「桂に大命(第一次桂内閣)が降下したが伊藤が元老で政友会総裁を兼ねていて、
桂への協力を約束しないので、ついに待命拝辞を内奏するところまでゆき、長いことごたごたした。
あの人たち(伊藤、山県、井上、桂)は若い時からの親友で(桂は伊藤より七歳、山県より十歳、井上より十二歳年下)
遠慮なしに相談がまとまりそうなものだが、それがそうはゆかない、互いに顔色をうかがって気兼ねばかりしている。
私が見兼ねて伊藤に断乎政友会総裁を退いて枢府議長になることをすすめたので、伊藤も踏み切った。
伊藤のあとを私が政友会総裁になったが別にむずかしい問題はなかった。
外になりたい人もあり、末松がよかろうという説もあり、
松田(正久)は総会を開いて衆議に問うがよいと言ったが、伊藤はこれをきかず、
私にやれというから御用に立つことなら引きうけましょうという位のことで、
就任してからは大抵松田と原に任せておいた。
初めのうちは原は偏狭のようで松田の方が人望があったが、後にはそうでもなかった。
豊田穣 「西園寺公望(上)」
P.324この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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