ドッガー・バンク事件
1904/10/21
日本軍の水雷艇にビビるバルチック艦隊、夜間操業のイギリス漁船群を“撃破”。
    
1904/08/10   黄海海戦
1904/08/14   蔚山沖海戦
1904/08/24   ロシア、バルチック艦隊の太平洋派遣を決定
1904/10/15   バルチック艦隊、リバウ軍港を出航 (司令長官:ロジェストウェンスキー
1904/10/21   ドッガー・バンク事件 (〜10/22/英・露)
1904/12/29   バルチック艦隊本隊、マダガスカル到着
1905/03/16   バルチック艦隊、マダガスカルを出航
1905/04/08   バルチック艦隊、シンガポール沖を通過
1905/05/27   日本海海戦 (〜05/28/連合艦隊司令長官:東郷平八郎
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用―艦隊はドッガー・バンクに近づきつつある。
ということを、バルチック艦隊の首脳は知るべきであった。 ここにはイギリスをはじめ各国の漁船が季節ごとに集中していてさかんに操業しているというのは船乗りの常識であり、 さらにその漁船は夜もこのあたりに多くいることを知るべきであった。 ヨーロッパの船乗りとしてのこの程度の常識を、ロジェストウェンスキーとその幕僚たちが判断材料として知っていれば、 かれらがやがて発する大狂気は、あるいはそれをおこさずに済んだかもしれない。
夜一時すぎ、旗艦スワロフの前面にあたって三色の狼煙があがった。 これは操業中の英国漁船のうちのどの船かがあげたものだというが、戦後のしらべでは、
―そういうノロシはあがらなかった。
という説もあり、なにしろ全艦隊が異常な神経昂奮のなかにあったため、その点はさだかでない。
はっきりしていることは、ロジェストウェンスキーが座乗している旗艦スワロフが、 このとき闇をつらぬいて探照燈をつけたことである。 これはこの集団心理のなかにあっては戦闘開始を命じたにもひとしかった。
各艦の艦長とも、
「あっ」
と、おどろいたであろう。 げんに旗艦スワロフにおいて、
「合戦準備。―」
とのラッパが鳴った。 ロジェストウェンスキーは全艦隊に戦闘を命じたのである。
相手は、漁船であった。探照燈は、一本煙突の漁船をとらえていた。そのかがやきのあかるさは、
「小蒸気船の船腹の黒と赤の彩色があざやかにみえるほどであった」
と、旗艦乗組の造船技師ポリトゥスキーは書いている。 相手は英国漁船であった。 しかし全艦隊はこれを日本水雷艇とみて、あらゆる砲が咆哮しはじめた。
「自分はこのとき前艦橋にいたが、 耳は砲声のために麻痺し、目も砲火のためにくらみ、艦橋上に居るに堪えられなくなって、両手で耳をおおい、 下へ駈けおり、上甲板でこの光景を見物した」
とは、ポリストゥスキーの妻への手紙である。
狂宴が、はじまった。
この艦隊に属するあらゆる軍艦が探照燈をつけ、狂ったように大砲を射ちだしたのである。 巨砲から砲弾が発射されるたびに北海の重い空気がひき裂かれ、閃光が闇を切り裂いた。
バルチック艦隊がその餌食にしようとした日本水雷艇(実際は英国漁船)は、一隻や二隻ではなかった。 探照燈員が機敏であればあるほど、いくらでもそれはさがしだせた。 射撃目標に事欠かなかった。
いつのまにか、英国漁船群は、この大艦隊の真っ只中にはさまれてしまっている。 最初、旗艦スワロフが、つるべ射ちに射ちすくめた漁船などは、どういうわけか逃げだすこともせず、 ちょうど森の小動物が嵐の吹き去るのを身をすくめて待ちつづけるようにただ漂っていた。 船上に人影はなかった。
ただかれら英国漁船群にとって不幸中の幸いであったことは、ロシア砲員の射撃があまりうまくないことであった。 もし戦艦の主砲の砲弾をまともにくらえばこなごなになってしまうにちがいないが、 そういう大きな砲弾のほとんどは海に落ちて、化け物のような水煙をあげるだけであった。 小口径砲は、比較的よく命中した。命中するごとに、
「ウラー」
と、声をあげる艦もあった。
艦隊は、どんどん進んでゆく。 漁船は、たたきつけられたイモリのように赤い腹を出してひっくりかえっているのもあれば、 二、三の漁船は火災をおこしたりしていた。 艦隊はかれらを沈めようとし、沈めるまでは探照燈を照らしつづけ、砲撃をやめなかった。
「漁船上に人影がなかった」
という目撃報告もあれば、狭い甲板上に人々が逃げまどい、両手を上下して哀願している姿を見た者もあった。 漁船乗組員のそのぶざまな狼狽ぶりをみて、
―日本海軍は弱い。
と、うれしげに叫んでいる水兵もあったが、巨大な錯覚の上に成立しているこの「戦場」にあっては、 敵への同情はなかった。 敵どもは、海にとびこむことすらできなかった。 海は落下弾のために沸き立っており、うかうか飛びこめば皮も骨もひきちぎられてしまうにちがいなかった。
―そこに日本の一等巡洋艦がいる。
ということで、第一巡洋艦隊に属しているアウローラ(六七三一トン)が、味方のいずれかの艦から集中的に砲撃され、 多数の命中弾をうけてしまった。アウローラが、
「ワレ、砲撃サル」
というあわれな無電を旗艦に発してきたときは、 水線上に四ヵ所の貫通孔をぶちあけられ、煙突は射ちぬかれ、従軍神父が片腕をうしない、砲術長も負傷した。
この時期にはもう、提督ロジェストウェンスキーも、この戦闘の奇妙さに気がつき、 射撃を中止を命じていたが、砲側にいる下士官や兵が自分自身を制御できないまでに昂奮しており、 勝手に射撃するため、海面がもとの静寂にもどるのに相当の時間がかかった。
「なんというはずかしさであろう。われわれは世界中に恥をさらした」
と、技師ポリトゥスキーは故郷の愛妻へ書き送っている。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。