水師営の会見
1905/01/05
乃木大将、敵将ステッセルと水師営で会見。 昨日の敵は今日の友。 感動、世界をかけめぐる。
    
1904/11/26   旅順総攻撃B開始
1904/11/30   第三軍、二〇三高地を一時占拠
1904/12/01   児玉総参謀長、第三軍司令部に到着
1904/12/05   第三軍、二〇三高地占領
1905/01/02   旅順陥落
1905/01/02   陸軍省、旅順開城を発表 (二〇三高地の激戦など)
1905/01/05   水師営の会見
1905/01/25   黒溝台会戦 (〜01/29)
1905/03/01   奉天会戦 (〜03/10)
1905/05/27   日本海海戦 (〜05/28/連合艦隊司令長官:東郷平八郎
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用ステッセルは、四十分待った。
やがて乃木一行が会場の門をくぐったのは、午前十一時三十分である。
乃木は門に入って馬を降り、先着していた津野田参謀の敬礼を受けた。 津野田は、通訳の川上俊彦とともにステッセルの出迎え役をつとめた。
津野田は挙手の礼の手をおろしてから、
ステッセル閣下は到着しておられます」
と、報告した。乃木はうなずき、大股になり、足早に本屋へむかった。
やがて乃木は部屋に入ると、いきなり上席とされている床の側に立った。 この場合、勝利者であるというほかに、乃木が大将であり、ステッセルが中将であるということによって乃木に上席が用意されていたのである。 乃木は立ったままステッセルにむかって手をのばした。
ステッセルも手をのばし、握手した。
乃木とはこういう人物であったのか)
と、ステッセルの幕僚が内心おどろいたほどに、乃木の容貌には尊大さが微塵もなく、やや垂れた両眼が微笑で細くなっていた。
乃木は立ったままあいさつをした。
そのあいさつを川上俊彦通訳が、ロシア語に翻訳した。
「われわれは君国のために力戦した。 しかしながらすでに戦闘行為は熄み、こんにちのようにして閣下とここで会見できることを、予は最大のよろこびとする」
と述べると、ステッセルはそれを受け、
「予もまた、祖国のために旅順要塞を防守した。 しかしながらすでに開城したこんにち、閣下にここで見える機会をえたることは、予の深く光栄とするところである」
さらに乃木は立ったままいう。 かれは昨日、参謀総長をへてかれのもとにとどいた電報の内容を披露した。 明治帝の意志についてであった。
電文とは、
―将官ステッセルガ祖国ノタメ尽シタル功を嘉シ給ヒ、武士ノ名誉ヲ保タシムベキコトヲ望マセラル。
というもので、このためステッセルとその随員に帯刀をゆるしたのである。
乃木はそのことを伝え、
「予もまた能うかぎり閣下のために便宜をはかりたい」
というと、ステッセルは先刻までとは別人のように明るい表情になり、そのことを感謝した。
この応答がおわると、乃木は雑談に移るべく、
「どうぞ」
と、相手に着席をうながし、みずからも腰を固い椅子に落ちつけた。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。