対露講和条件を閣議決定
1905/04/21
勝った! 勝った! といいながら、舞台の裏は火の車。 戦局をにらんで講和の用意。
    
1904/02/10   対露宣戦布告 (日露戦争勃発)
1905/01/02   旅順陥落
1905/03/10   日本軍、奉天占領
1905/04/21   対露講和条件を閣議決定
1905/05/27   日本海海戦 (〜05/28/連合艦隊司令長官:東郷平八郎
1905/06/01   高平駐米公使、T・ルーズベルト(米)大統領に講和斡旋を要望
1905/06/09   T・ルーズベルト(米)大統領、日露両国に公式に講和を勧告
1905/07/21   山県参謀総長、満州軍を視察
1905/08/10   日露講和会議開催 (アメリカ・ポーツマス/首席全権:小村寿太郎
1905/08/22   T・ルーズベルト(米)大統領、金子特使に金銭的要求の放棄を勧告
1905/08/28   御前会議、日露講和成立方針を決定
1905/09/05   ポーツマス条約調印 (首席全権:小村寿太郎日露戦争終結)
1905/09/05   日比谷焼き打ち事件 (〜09/06)
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用全権の公式発表に先立つ六月三十日、元老をまじえた閣議が開かれた。 参席者に共通していることは、戦争を一刻も早く終結させることにつきていた。 そして、講和会議を成立させるためには、ロシアが受諾可能の最低限の条件を要求する以外にないということでも一致していた。
それにもとづいて、
《絶対的必要条件》
第一、韓国カラロシア権益ヲ一切撤去シ、同国ハ日本ノ利益下ニオク。
第二、日露両国軍隊ハ、満州カラ撤兵スルコト。
第三、ロシアノ有スル旅順、大連ソノ他遼東半島ノ租借権及ビハルピン以南ノ鉄道、炭坑ヲ日本ニ譲渡スルコト。
《比較的必要条件》
第一、ロシアハ、日本ニ対シ軍費ヲ賠償スルコト。金額ハ拾五億円ヲ最高額トスル。
第二、ロシアハ、中立国ノ港ニ抑留サレタ軍艦ヲ引渡スコト。
第三、ロシアハ、樺太及ソレニ附属シタ諸島ヲ日本ニ譲ルコト。
第四、ロシアハ、日本ニ沿海州沿岸ノ漁業権ヲ与ヘルコト。
《附加条件》
第一、ロシアハ、極東ノ海軍力ヲ制限スルコト。
第二、ロシアハ、ウラジオストツクノ軍備ヲ撤去シ、商港トスルコト。
の九条件が提案された。
元老、閣僚たちは、第一から第三までの条件はロシア側が応ずる望みがあると考え、これを絶対的条件として決定した。 問題は、樺太割譲と賠償金支払いをふくむ二条件であった。 そのいずれもロシア側が承諾する可能性は少く、講和会議の争点になることはあきらかだった。
日本としてはあくまで講和をむすばねばならぬ事情があり、「絶対的必要条件」以外の条件については、 小村全権の外交手腕に一任することになった。
この決議は天皇の裁可を得て、小村全権に託された。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。