T・ルーズベルト(米)大統領、日露両国に公式に講和を勧告
1905/06/09
ここらが潮時と、アメリカ大統領が日露の講和の斡旋に乗り出した。
    
1904/02/10   対露宣戦布告 (日露戦争勃発)
1904/02/24   金子特使渡米
1905/01/02   旅順陥落
1905/03/10   日本軍、奉天占領
1905/04/21   対露講和条件を閣議決定
1905/05/27   日本海海戦 (〜05/28/連合艦隊司令長官:東郷平八郎
1905/06/01   高平駐米公使、T・ルーズベルト(米)大統領に講和斡旋を要望
1905/06/09   T・ルーズベルト(米)大統領、日露両国に公式に講和を勧告
1905/07/03   小村寿太郎、高平小五郎を日露講和会議全権に任命
1905/07/07   第13師団、南樺太上陸 (07/31 樺太占領)
1905/07/21   山県参謀総長、満州軍を視察
1905/08/10   日露講和会議開催 (アメリカ・ポーツマス/首席全権:小村寿太郎
1905/08/22   T・ルーズベルト(米)大統領、金子特使に金銭的要求の放棄を勧告
1905/08/28   御前会議、日露講和成立方針を決定
1905/09/05   ポーツマス条約調印 (首席全権:小村寿太郎日露戦争終結)
1905/09/05   日比谷焼き打ち事件 (〜09/06)
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用六月六日夜、駐日アメリカ公使グリスコムは小村外相を外務省に訪れ、またロシアでもアメリカ大使メイヤーがロシア政府に対し、 ルーズベルトの公文書を手渡した。その内容は、
「日露両国のみならず文明世界全体の利益のため、講和会議の開始を切望する」
というもので、会合の日時、場所の決定に力をかしたいとも記されていた。
日露両国は、公式に勧告に応ずると回答し、ルーズベルトは、気持の変りやすいロシア皇帝が回答をひるがえすことを恐れ、 その内容を新聞に公表した。
小村外相は、ルーズベルトの周到な配慮に謝意をしめすとともに、 講和について支持の態度をとったドイツ皇帝、フランス外相ルヴィエルにもそれぞれ感謝の電報を送った。 かれは、列国の好意を日本にひきつけると同時に、米、独、仏三国の力でロシア皇帝の翻意を防ごうとしたのである。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。