山県参謀総長、満州軍を視察
1905/07/21
まだ戦争を続けられるのか。 それとも・・・。 山県参謀総長、満州の現地軍を視察。
    
1904/02/10   対露宣戦布告 (日露戦争勃発)
1905/01/02   旅順陥落
1905/03/10   日本軍、奉天占領
1905/05/27   日本海海戦 (〜05/28/連合艦隊司令長官:東郷平八郎
1905/06/09   T・ルーズベルト(米)大統領、日露両国に公式に講和を勧告
1905/07/07   第13師団、南樺太上陸 (07/31 樺太占領)
1905/07/19   講和問題同志連合結成 (対露同志会など)
1905/07/21   山県参謀総長、満州軍を視察
1905/08/10   日露講和会議開催 (アメリカ・ポーツマス/首席全権:小村寿太郎
1905/09/05   ポーツマス条約調印 (首席全権:小村寿太郎日露戦争終結)
1905/09/05   日比谷焼き打ち事件 (〜09/06)
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用戦争の将来をうれえた天皇は、小村全権が横浜を出発後、山県に満州におもむかせ派遣軍の状況と将兵の士気調査を命じた。
山県は、七月二十一日、奉天の満州派遣軍総司令部に到着、大山総司令官から軍の現況をきいた。 さらに翌日には、最前線を視察し、二十五日に総司令部で会議を開いた。 出席者は、総司令官大山巌元帥、総参謀長児玉源太郎大将、第一軍司令官黒木為禎、第二軍司令官奥保鞏、第三軍司令官乃木希典、 第四軍司令官野津道貫、第四師団長川村景明の各大将であった。
大山をはじめ児玉らは、情報を綜合した結果、ロシア軍の増強は予想以上に進み、 リネウイッチ総司令官の指示のもとに戦線の整備も着々とととのえていると説明した。 総兵力は歩兵五百三十八大隊、騎兵二百十九中隊、砲兵二百七隊で、日本の三倍にも達する大兵力であった。
しかも、増強されたロシア軍将兵は、ヨーロッパ方面から送られた精鋭で、連敗の汚名を挽回しようと戦意もさかんであるという。
たとえ、日本軍が新たな作戦行動を起してハルピン攻略を目ざしても、途中に三つの堅固な陣地があり、 その一つを占領するだけでも少くともニ、三万の死傷を覚悟する必要があると述べた。
山県は、現地軍指揮層の綿密な現状報告を聴取して、戦争継続はきわめて危険であるという結論に達し、 急いで帰国すると天皇、元老、桂首相に報告したのである。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。