小村寿太郎、高平小五郎を日露講和会議全権に任命
1905/07/03
みんな逃げた。 伊藤も逃げた。 小村は逃げなかった。 この困難な仕事を小村が引き受けた。
    
1905/04/21   対露講和条件を閣議決定
1905/05/27   日本海海戦 (〜05/28/連合艦隊司令長官:東郷平八郎
1905/06/01   高平駐米公使、T・ルーズベルト(米)大統領に講和斡旋を要望
1905/06/09   T・ルーズベルト(米)大統領、日露両国に公式に講和を勧告
1905/07/03   小村寿太郎、高平小五郎を日露講和会議全権に任命
1905/07/19   講和問題同志連合結成 (対露同志会など)
1905/08/10   日露講和会議開催 (アメリカ・ポーツマス/首席全権:小村寿太郎
1905/08/14   桂・原会談
1905/08/14   大阪朝日新聞、賠償金要求の不調を号外で報道
1905/08/17   講和問題同志連合大会、講和条件譲歩反対を決議 (東京・明治座)
1905/08/22   T・ルーズベルト(米)大統領、金子特使に金銭的要求の放棄を勧告
1905/08/28   御前会議、日露講和成立方針を決定
1905/09/05   ポーツマス条約調印 (首席全権:小村寿太郎日露戦争終結)
1905/09/05   講和反対国民大会開催 (東京・日比谷)
1905/09/05   日比谷焼き打ち事件 (〜09/06)
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。