日英同盟A調印
1905/08/12
適用範囲を拡大して日英同盟を改定。 イギリスは、日本の韓国保護権を認めた。
    
1902/01/30   日英同盟@調印
1904/02/10   対露宣戦布告 (日露戦争勃発)
1905/05/27   日本海海戦 (〜05/28/連合艦隊司令長官:東郷平八郎
1905/07/29   桂・タフト協定
1905/08/12   日英同盟A調印
1905/09/05   ポーツマス条約調印 (首席全権:小村寿太郎日露戦争終結)
1911/07/13   日英同盟B調印
1921/12/13   四ヵ国条約調印 (日英同盟廃棄)
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用第二回日英同盟がロンドンで調印された八月十二日、ポーツマスでは日露講和交渉の第二回正式会議が開かれ、 ウィッテは日本側講和条件への回答書を提示していた。 日本の講和条件の第一には、日本が韓国を「指導、保護、及び監理」するのを承認する旨の規定がかかげられ、 ウィッテは「本条は異議を容るるの余地なし」と答えている。
新しい日英同盟は、この日本の韓国植民地化をみとめ、日英同盟が韓国とインドというそれぞれの植民地を守るために、 協力を強めることを約束した点で、旧同盟と決定的に異なっていた。 以後、相互の植民地支配をみとめ合うことが、日本の外交にとっても、列強との強調の基本になってゆくのであった。 そしてこのときすでに、アメリカとの同様の協定桂・タフト協定が成立していた。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。