日英同盟A調印 1905/08/12
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用第二回日英同盟がロンドンで調印された八月十二日、ポーツマスでは日露講和交渉の第二回正式会議が開かれ、
ウィッテは日本側講和条件への回答書を提示していた。
日本の講和条件の第一には、日本が韓国を「指導、保護、及び監理」するのを承認する旨の規定がかかげられ、
ウィッテは「本条は異議を容るるの余地なし」と答えている。
新しい日英同盟は、この日本の韓国植民地化をみとめ、日英同盟が韓国とインドというそれぞれの植民地を守るために、
協力を強めることを約束した点で、旧同盟と決定的に異なっていた。
以後、相互の植民地支配をみとめ合うことが、日本の外交にとっても、列強との強調の基本になってゆくのであった。
そしてこのときすでに、アメリカとの同様の協定桂・タフト協定が成立していた。
―古屋哲夫 「日露戦争」
P.191この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
|