日露講和会議開催 1905/08/10
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用ポーツマスの講和会議は八月九日の予備会議から始められた。
日本側全権は小村・高平、ロシア側はウィッテ、ローゼン、予備会議では会議録の作成、随員の出席問題、秘密保持と新聞への発表方法、
会議時間などを決め、翌十日、さっそく第一回正式会議に入った。
小村全権はまず、日本側の講和条件につきロシア側が各個条ごとに意見を述べ、ついで逐条審議に移ることを提議し、
ウィッテの承諾を得て初めて十二ヵ条からなる講和条件を手渡した。
小村としては、ロシア側が条件中に承認できないものがあるという理由で、最初から一括して拒否する態度に出ることを妨げたものであった。
ウィッテは、二日後には早くも回答書を作成し、十日の第二回会議に提出、逐条審議が開始された。
古屋哲夫 「日露戦争」
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※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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