日比谷焼き打ち事件 1905/09/05
〜 焼き打ちの拡大 〜
講和反対国民大会 → 日比谷焼き打ち → 東京焼き打ち → 東京に戒厳令
taro's トーク
政権党の某代議士が、日比谷焼き討ち事件は領土の割譲がなかったから起こったのだ、と言っているのを、
taroはテレビで見たことがある。ひどい話だとそのとき思った。
この事件の背景には重税がある。
「坂の上の雲」の中で、司馬遼太郎が「戦争準備の大予算そのものが奇蹟であるが、
それに耐えた国民のほうがむしろ奇蹟であった」と書いている。
それほどの重税に耐え、血を流してやっと手にした勝利の結果が無賠償だったことに国民の一部がキレたのだ。
せめて白いおまんまが食べたいじゃないか、そういう切実な気持ちが講和外交への不満と結びついてこの暴発事件になったのだ。
ついでに言えば、領土の割譲はあった。ポーツマス条約で日本は樺太の南半分を得た。
この代議士は、その放送の直後、内閣改造で大臣になった。ひどい話だ。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
「日比谷焼き打ち事件」は「日比谷焼打ち事件」「日比谷焼き討ち事件」「日比谷焼討ち事件」とも表記されることがあります。 |