加藤外相辞任 1906/03/03
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用二月二十八日、加藤高明がわずか在任二ヵ月で外相を辞任した。
鉄道国有化に反対したためとされたが、戦後急に権勢を増した陸軍が、
満州で清国側の意向を無視し軍政存続を主張したことに反対したからであった。
吉村昭 「ポーツマスの旗」
P.337この本を入手
引用欲からではなく猛烈に反対したのは三菱の申し子である外相加藤である。
しかし、彼は三菱に関係のない朝鮮における私鉄の買収には賛成であったので、閣僚から大分やりこめられた。
結局彼は三月三日辞表を提出するが、その内容は従来の「病気により」というような紋切り型ではなく、
政府の財政等を批判し、イギリスの伝統的な経済理論(マンチェスター旧学派?)を引用して、
「人民が財力・能力を投下して設定した利益事業を、法律をもって買収するのは人権を無視するものである」と“堂々”の論陣を張った。
「西園寺、これは従来の辞表とは大分異なるではないか」
と問うた。
「本来国務大臣の辞表にはこの程度に理由を明記するのが正当でございます」
この時、加藤の態度を公明正大として賞賛し、政府を攻撃した急先鋒は黒岩周六の主宰する万朝報であった。
豊田穣 「西園寺公望(上)」
P.350この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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