末弘ヒロ子、「ヘラルド・トリビューン」主催の世界美人投票に選出
1908/03/05
16才の小倉市長令嬢が世界第六位。 でも乃木さん激怒で学習院退学。 ほ・封建的な。
    
1904/02/10   対露宣戦布告 (日露戦争勃発)
1907/01/31   乃木希典、学習院長就任
1907/02/12   管野スガら、治安警察法第5条改正を請願 (03/27 貴族院否決)
1908/03/05   末弘ヒロ子、「ヘラルド・トリビューン」主催の世界美人投票に選出
1908/03/24   森田草平・平塚らいてう心中未遂 (煤煙事件)
1908/09/15   川上貞奴、帝国女優養成所設立
1908/10/13   戊申詔書
1909/06/25   「活動写真界」創刊 (初の映画雑誌)
1911/09/01   「青鞜」創刊 (平塚らいてう:「元始女性は太陽であった」)
1912/07/29   明治天皇崩御
1912/09/13   乃木希典殉死
1950/04/22   山本富士子、ミス日本に選出される
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ついにtaroは末弘ヒロ子のド・アップ写真を見た。イマドキのアイドル、女優、モデルも何のその、めっちゃめちゃな美少女だ。 これなら優勝も当然、というよりも世界にあと5人、彼女以上の美人がいることの方が信じられない気がする。 美人の感覚を共有できるとき、taroは時代の近さを感じる。ヒロ子ちゃんのおかげで明治がぐっと近くなった。 考えてみれば、ミスコンを企画するおとながいて、けしからん! と怒るおとながいて、 その間で、こどもばかりが迷惑するという図式に、明治と平成の違いはない。 おニイさんが勝手に応募したせいで、ヒロ子ちゃんは気づいたら学習院退学だ。 ただ、明治のおとな、乃木希典の方は、彼女を退学にしたあと、日露の戦友 野津道貫の長男と彼女との縁談をまとめてフォローしているから、 平成のおとなより幾分マシかもしれない。 ちなみに、自分の美しさを誇示することは良妻賢母の校風に合わないというのが退学理由だそうだ。
引用時事新報社が、写真応募による全国美人コンクールを主催した。 このコンクールは、アメリカ・シカゴ市にある『ヘラルド・トリビューン』紙が主催した、世界美人投票コンクールに連動したもの。
第一位に輝いたのは、末広ヒロ子。 一六歳で、福岡県小倉市長・末広正方の娘であった。 ヒロ子はアメリカでの審査でも、世界第六位に輝いている。
しかし、彼女は女子学習院に在学中。 このコンクール入賞の報は、院長・乃木希典の逆鱗に触れ、退学処分になってしまった。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
「末広ヒロ子」は表記に誤りがあります。