西園寺内閣@総辞職
1908/07/04
西園寺内閣@は元老山県有朋に“毒殺”された。
    
1905/12/21   桂内閣@総辞職
1906/01/07   西園寺内閣@成立 (首相:西園寺公望
1906/03/03   加藤外相辞任 (鉄道国有化に反対して)
1906/03/31   鉄道国有法公布
1906/11/26   南満州鉄道株式会社(満鉄)設立 (総裁:後藤新平
1907/07/24   日韓協約B調印
1907/07/30   日露協約@調印
1907/12/27   山県逓相と阪谷蔵相、鉄道予算問題で対立 (08/01/14 両相辞任)
1908/05/15   総選挙[10] (政友会187、憲政本党70、大同倶楽部29、猶興会29)
1908/06/22   赤旗事件
1908/06/25   原内相、社会主義者取締の現状を上奏
1908/06/27   西園寺首相、原・松田に辞意を表明
1908/07/04   西園寺内閣@総辞職
1908/07/14   桂内閣A成立 (首相:桂太郎
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用西園寺首相は6月、病気を理由に突然辞意を表明した。 5月の総選挙では与党政友会が絶対多数を獲得、内閣改造も終わったばかり。世間は驚いた。 直接の理由は、元老山県有朋が「西園寺内閣は社会主義者の取り締まりが手ぬるい」と天皇に密奏したため、とされる。
前年には在米日本人の過激派社会主義者が「暗殺主義第一巻第一号、日本皇帝睦仁君ニ与フ」 と題するパンフレット配布事件が発生したのに続き、この41年6月、赤旗を掲げる社会主義者と警察の衝突事件も発生していた。
しかし官僚派の山県からみれば、西園寺・政友会提携下の原敬内相のもとで内務省人脈が切り崩されていくとの危機感を持っていた。 この山県が内奏を倒閣の手段に使ったということで、当時は「山県の“毒殺”説」という憶測が流れた。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
「西園寺内閣@」は「第1次西園寺内閣」「第一次西園寺公望内閣」と同じ意味です。