辛亥革命勃発 1911/10/10
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用このころ、清朝政府は鉄道の国有化を推し進めようとしていた。
狙いは、国有化したのち外国へ敷設権を売り渡して借款を得ようというのである。
この主唱者は盛宣懐という人物で、彼は李鴻章の引き立てで出世し、汚職の限りをつくして財をたくわえた。
その金で買った蘇州の留園は天下の名園として知られているが、さきごろ筆者が中国を訪れたときにも案内されている。
もっとも、筆者には、どうして名園なのか、さっぱりわからなかった。
成金的な悪趣味の庭園にしか感じられなかったが・・・・・・。
盛はこの年の五月に成立した慶親王政権に郵便部尚書(大臣)として入閣した。
それ以前に、武漢に本社のある漢冶萍煤鉄廠公司を設立しており、この会社は日本の八幡製鉄に鉄鉱石を売ることになっていた。
盛にしてみれば、鉄道を国有化することは、自分の会社の製品輸送の上で大いに有利になるのである。
日本はこうした動きに対して、決して無関係ではなかった。
漢冶萍公司に対して、製鉄資源を確保するために、巨額の融資をしていた。
金を貸したのは、横浜正金銀行であるが、正金銀行は預金部資金(つまり国民の郵便貯金である)から借りて調達したのである。
盛の狙いは、主として粤漢鉄道(広東−漢口)と川漢鉄道(四川−漢口)にあった。
これを握って、米、英、独、仏の四国借款団と取引しようというのである。
これに対して、各地方の郷土資本家や商人たちが反対し、保路(路はレールの意)運動が起こった。
なかでも、四川省のそれは激しかった。
というのは、国有化にあたって、それまでの川漢鉄道の株主に対して、現金で払わずに、六割を無利息公債で、
残りは、収益のあるときに償還する、というひどい条件を盛が押しつけたからだった。
四川省の場合、反対運動が広く盛り上がったのは、株主の中に、多くの農民がまじっていたからだった。
といっても、農民が金持ちだったわけではない。
かれらは、租税の形で上から出資を強制されていたのである。
つまり、税金同様に取り立てられた金が、六割が無利息公債で、残りは、儲けがあったら払うといわれては、
怒るのが当たりまえであった。
公債などというものが、絶対に当てにならぬものであることは、過去の例からみてもはっきりしていた。
四川省の各地で、大衆集会がひらかれた。
鉄道は、近代国家にとって、人間のからだの動脈にも相当するものである。
清朝やその走狗となっている盛ら腐った役人たちは、自分たちの利益のために、この大事なものを外国資本に渡そうとしていたのだ。
政府の命令で、四川総督は軍隊を動員し、デモ隊に発砲して、リーダーを逮捕した。
保路の同志会は、ただちに檄をとばして、武装蜂起に入り、これに農民、労働者も参加して、その兵力は十数万となり、
成都めざして進撃した。
清朝政府は、武漢を本拠にしている湖北新軍に対して出動を命じた。
湖北新軍は兵力約一万五千人である。
すべて漢人であり、その約三分の一が、このころには、文学社、共進会という革命組織にひそかに加わっていた。
武漢は、武昌、漢口、漢陽に三都市から成り立っている。
新軍は、武昌城内に駐屯していた。
十月九日、漢口の租界内にあった共進会のアジトで、数人の男が爆裂弾を密造中、爆発が起こった。
不用意にも、一人がくわえタバコで入ってきて、その灰が落ちたせいであった。
租界警察が出動して、男たちを逮捕し、同時に家宅捜索を行なった。
すると武器のほかに宣言文や革命軍用の軍票まで発見された。
通報をうけた湖広総督瑞澂は戒厳令を発した。
そして、武昌城内にあった革命組織のアジトを急襲し、三十数人をつかまえると、
翌朝には、そのうちの三人を都督の役所の前で斬首刑にした。
新軍内の革命派はすっかり動揺した。
会員名簿が押収されたという噂もあるので、事は急を要した。
革命派の一人に、陶啓元という兵士がいた。
陶啓元の兄の陶啓勝は、新軍の小隊長をつとめていたが、この男は、革命派とは関係なかった。
弟は、革命派の司令部から十日の夜に決起せよという指令をうけとった。
そうなれば、兄を殺さねばならない。
骨肉の情にひかれて、弟は兄にそれとなく忠告した。
「今夜は兵営にいない方がいいよ」
兄は、この一言を聞き咎めた。
暴発事件やそれにつぐ処刑で、革命派蜂起の噂がすでに流れていたのである。
兄は弟を問いつめて、ついに革命派に加わっていたことを告白させた。
そして、自分の部下の金兆竜もやはり一味に加わっていることを知った。
陶啓勝は、すぐさま金の逮捕に向かった。
金は激しく抵抗し、仲間の一人、程定国に叫んだ。
「そいつをやっつけろ!」
程は銃をとって小隊長をなぐりつけた。
陶啓勝は声をあげながら逃げ出した。
その後ろ姿に程は照準を定め、引き金を引いた。
一九一一年十月十日の午後七時すぎであった。
数千年の歴史をもった中国帝政に幕を引いた辛亥革命は、この一発の銃声によってはじまったのである。
三好徹 「夕陽と怒濤」
P.78この本を入手
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