宣統帝(溥儀)退位 (清朝滅亡)
1912/02/12
ついに清朝打倒を実現! 新生中国の夢ひろがる少年皇帝の退位。
    
1905/08/20   孫文ら、中国同盟会結成 (東京)
1908/12/02   宣統帝即位 (=溥儀/3歳)
1911/10/10   辛亥革命勃発 (武昌蜂起)
1911/10/28   黄興・宋教仁・北一輝ら、上海から武昌に到着
1911/11/01   清国政府、袁世凱を総理大臣に任命
1911/12/25   孫文、上海に到着
1911/12/29   17省代表会議、孫文を中華民国臨時大総統に選出 (南京)
1912/01/01   南京臨時政府成立 (臨時大総統:孫文
1912/02/12   宣統帝(溥儀)退位 (清朝滅亡)
1912/03/10   袁世凱、臨時大総統就任
1912/03/11   孫文、中華民国臨時約法を公布
1912/04/01   孫文、臨時大総統辞任
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taro's トーク ああああああ
引用革命政権内部の弱点と、イギリスなどの強力な支持を得た袁世凱の巧妙な攻勢を前に、 孫文は清帝の退位と共和制の実現、首都の南京への移転などを条件として、を臨時大総統とすることに同意した。 段祺瑞ら北洋軍将領に「共和政体」を要求する電報を清朝に打電させ、 他方、退位後も大清皇帝の尊号を廃止せず、中華民国はこれを外国君主の礼をもって遇し、 歳費を支給すること、暫時宮城内に居住することを認める、などの皇室優遇条件を提起して退位を迫った。 二月十二日、これを受けいれて宣統帝は退位し、ここに秦の始皇帝以来の専制王朝体制は終焉した(辛亥革命)。 同月十四日、孫文は大総統の職を辞し、翌日、南京の参議院は十七票の満票をもって、を臨時大総統に選出した。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。