バルカン戦争@勃発
1912/10/17
火薬庫に火がついた! バルカン諸国、トリポリ戦争中のオスマン・トルコに宣戦布告。
    
1908/07/24   青年トルコ党の革命
1908/10/06   オーストリア、ボスニア・ヘルツェゴビナ併合を宣言 (ボスニア危機)
1911/09/29   トリポリ戦争勃発 (〜12/10/18)
1912/10/17   バルカン戦争@勃発 (〜13/05/30)
1913/06/29   バルカン戦争A勃発 (〜13/07/30)
1914/06/28   サラエボ事件 (オーストリア皇太子夫妻暗殺)
1914/07/28   オーストリア、セルビアに宣戦布告 (第一次世界大戦勃発)
〜 バルカン戦争@の遠因 〜
オスマン・トルコの弱体化 / バルカン諸民族の独立運動 / ロシアの汎スラブ主義
taro's トーク ああああああ
引用第一次バルカン戦争は一九一二年にロシアの仲介で、セルビア、ブルガリア、ギリシア、モンテネグロの四ヵ国間に バルカン連盟とよばれる同盟体制が築かれることによって、十月に開始された。 当時、オスマン帝国はイタリアとの戦争(イタリア=トルコ戦争)に煩われていただけでなく、 民族覚醒の遅れていたアルバニアやマケドニアでの民族運動にも悩まされていた。 バルカン連盟側の兵力は約七〇万、一方、オスマン帝国の軍隊は約三二万であり、 オスマン帝国の劣勢は明らかであった。
ブルガリアはバルカン半島中東部のトラキア地方でオスマン帝国軍の主力部隊と戦い、 セルビアとギリシアはアルバニアやマケドニア地方に進出した。 モンテネグロも隣接するアルバニアに軍隊を進めた。 一九一三年春までにオスマン帝国の敗北がはっきりすると、ヨーロッパ列強が介入してくる。 同年五月にロンドン条約が締結され、休戦が成立した。 この結果、列強はアルバニアの独立を承認したため、 セルビア、モンテネグロ、ギリシアの各国は占領したアルバニアの領域から撤退しなければならなかった。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。