西園寺・山県会談 (陸軍2個師団増設問題)
1912/11/10
軍事力強化か財政建て直しか、両者ゆずらずトップ会談は決裂した。
    
1912/07/29   明治天皇崩御
1912/09/13   明治天皇大喪
1912/11/10   西園寺・山県会談 (陸軍2個師団増設問題)
1912/11/22   上原陸相、陸軍2個師団増設案を閣議に提出
1912/12/02   上原陸相、帷幄上奏で単独辞任
1912/12/05   西園寺内閣A総辞職
1912/12/17   桂太郎に組閣命令
1912/12/17   斉藤海相、留任拒否 (12/21 勅命により留任)
1912/12/19   憲政擁護連合大会@ (護憲運動@開始)
1912/12/21   桂内閣B成立 (首相:桂太郎
1913/01/20   桂首相、新党結成計画発表
1913/02/09   西園寺(政友会総裁)に「内閣不信任案撤回」の詔勅
1913/02/10   護憲派の民衆、議会を包囲 (桂首相、総辞職を決意)
1913/02/11   桂内閣B総辞職 (大正政変)
1913/06/13   軍部大臣現役武官制廃止
〜 陸軍2個師団増設問題 〜
財政再建の公約実現(内閣) → 対立 ← (陸軍)2個師団増設を要求
taro's トーク ああああああ
引用ところが、間もなく事態は急変する。 変わったのは海軍をめぐる状況であった。 一九〇六(明治三十九)年末にイギリスで竣工した最新鋭戦艦ドレッドノートが、 その圧倒的な砲力と速力とによって、現有の戦艦を一挙に旧式化してしまったのである。 このいわゆる弩級戦艦、さらにその性能を上回る超弩級戦艦の出現により、 日本海軍の実勢力は著しく低下した。 海軍は世界の急速な技術革新に追いつくため、あらためて軍拡計画を練り直し、 これを政府に要請することになる。
海軍の軍拡は陸軍を刺戟する。 そのうえ、シベリア鉄道複線化が進捗しており、満州へのロシア軍輸送能力が飛躍的に向上すれば、 その脅威も高まると判断された。 一九一〇(明治四十三)年の韓国併合、翌年の中国の辛亥革命勃発によって、 大陸で陸軍の果たすべき役割は拡大したと論じられた。 陸軍は、国防方針に規定された師団増設(増師)計画達成を急がねばならないと主張し、 従来の一九箇師団に加えて、朝鮮に駐屯すべき二箇師団の増設を要求するのである。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。