西園寺内閣A総辞職
1912/12/05
陸軍は上原陸相の後任の推薦を拒否、陸相を欠いては内閣成り立たず総辞職。
    
1911/08/25   桂内閣A総辞職
1911/08/30   西園寺内閣A成立 (首相:西園寺公望
1911/10/10   辛亥革命勃発 (武昌蜂起)
1912/01/01   南京臨時政府成立 (臨時大総統:孫文
1912/02/12   宣統帝(溥儀)退位 (清朝滅亡)
1912/03/10   袁世凱、臨時大総統就任
1912/07/29   明治天皇崩御
1912/11/10   西園寺・山県会談 (陸軍2個師団増設問題)
1912/11/22   上原陸相、陸軍2個師団増設案を閣議に提出
1912/12/02   上原陸相、帷幄上奏で単独辞任
1912/12/05   西園寺内閣A総辞職
1912/12/07   元老会議、松方正義を後継首相に推薦 (12/09 辞退)
1912/12/12   元老会議、山本権兵衛・平田東助を後継首相に推薦 (ともに辞退)
1912/12/17   桂太郎に組閣命令
1912/12/17   斉藤海相、留任拒否 (12/21 勅命により留任)
1912/12/19   憲政擁護連合大会@ (護憲運動@開始)
1912/12/21   桂内閣B成立 (首相:桂太郎
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用天皇は閣内の異変に驚き、桂内大臣西園寺邸に派遣し事の次第を質問させた。 はもとより内情を知っており、特に訊くまでもなかった。
三日午前十時、西園寺は青山離宮に参内して一応の状況を説明した後、 椿山荘に山県を訪問し後任陸相の人選について計った。 得たり、と山県はほくそ笑んだ。 こういうこともあろうかと考え、彼は陸相候補と目される数人にあらかじめ西園寺内閣の陸相にはなるなという指示をしておいたのである。
上原も気の短い奴だな。―しかし、これというのもあなたが陸軍に冷たくするからだ。 国防に協力してもらえぬならば、陸相のなり手はありませんぞ」
彼はそういうとじろりと西園寺の白皙の面を見た。
西園寺は肚を決めた。
首相官邸に戻ると彼は閣議を召集して総辞職の意向を告げた。 以下の閣僚の間には沈痛悲壮の気が流れた。 明治大帝去って未だ四ヶ月、国歩は艱難で内閣が為すべき仕事は山積していた。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
「西園寺内閣A」は「第2次西園寺内閣」「第二次西園寺公望内閣」と同じ意味です。