袁世凱、中華民国大総統就任
1913/10/10
臨時大総統→大総統  袁世凱第2革命をつぶして、おもむろに就任。
    
1911/10/10   辛亥革命勃発 (武昌蜂起)
1911/11/01   清国政府、袁世凱を総理大臣に任命
1911/12/29   17省代表会議、孫文を中華民国臨時大総統に選出 (南京)
1912/01/01   南京臨時政府成立 (臨時大総統:孫文
1912/02/12   宣統帝(溥儀)退位 (清朝滅亡)
1912/03/10   袁世凱、臨時大総統就任
1912/03/11   孫文、中華民国臨時約法を公布
1912/04/01   孫文、臨時大総統辞任
1913/03/20   宋教仁暗殺事件 (03/22 没/中)
1913/07/12   中国・江西省で、第2革命勃発 (〜09/01)
1913/08/05   孫文、台湾へ亡命 (広東の独立失敗)
1913/09/01   袁軍、南京占領 (第2革命失敗)
1913/10/10   袁世凱、中華民国大総統就任
1914/01/10   袁世凱、国会議員の職務を停止
1915/12/11   中国参政院、袁世凱を皇帝に推戴
1915/12/25   雲南都督ら、昆明で帝政反対・雲南独立を宣言 (第3革命勃発)
1916/01/01   袁世凱、皇帝即位 (帝政移行)
1916/03/22   袁世凱、帝政取消
1916/06/06   袁世凱
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用六月に袁世凱は国民党系の三人の都督を罷免して、 その武力を奪おうとした。 追いつめられた国民党急進派はやむなく武力抗争に起ちあがり、南方七省で討の兵を挙げた。 これが辛亥革命につづく第二革命である。 しかし期待された連鎖反応は起こらず、すでに民衆から遊離して革命のエネルギーを失っていた革命側は、 優勢な北方軍の前につぎつぎに撃破され、九月には完全に鎮圧されてしまった。 孫文、黄興をはじめとして革命派の指導者はすべて海外に亡命し、革命勢力は一掃されてしまった。
十月、わずかな銭で雇われた「公民団」と称する暴徒が脅迫するなかで、 国会は袁世凱を正式大総統に選任した。 その直後、は国民党の解散を命じて、残っていた国民党穏健派議員の資格を剥奪し、 機能を失った国会に代えて中央政治会議を設けた。 そして、大総統の権限を大幅に拡大した「新約法」が制定された。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。