桂内閣B総辞職 (大正政変)
1913/02/11
護憲運動@は、ついに桂“藩閥”内閣を打倒! 大正新時代、ここに開幕。
    
1912/12/02   上原陸相、帷幄上奏で単独辞任
1912/12/05   西園寺内閣A総辞職
1912/12/19   憲政擁護連合大会@ (護憲運動@開始)
1912/12/21   桂内閣B成立 (首相:桂太郎
1913/01/20   桂首相、新党結成計画発表
1913/02/09   西園寺(政友会総裁)に「内閣不信任案撤回」の詔勅
1913/02/10   護憲派の民衆、議会を包囲 (桂首相、総辞職を決意)
1913/02/11   桂内閣B総辞職 (大正政変)
1913/02/20   山本内閣@成立 (首相:山本権兵衛
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用警視庁は五千人近い巡査を集めて議会の警戒に当っていたが、 議会停会と聞いた大衆はこれと揉み合い、建物の破壊を始めた。 護憲派代議士は上野公園神田錦輝館などで国民大会を開き、アジ演説に興奮した民衆に押し立てられて、 議会を目ざしてやって来る。
議会は数万の民衆に包囲され、川上警視総監は、騎馬憲兵二十五騎を民衆の中に馳けこませた。
この頃は議院の中の総理室で、議長の大岡育造(長州人、政友会創立委員、総務であったが、への接近を計っていた。 後に政友会反主流派二十日会を率いる)や閣僚たちが集まった中で、解散か否かで揉み合っていた。大岡は、
「議長としてでなく、長州人として申し上げる。 今、この議院は憤激した民衆にとり巻かれている。 善処しなければこの民衆は血を見るまでは収まりませんぞ。 閣下の英断を乞う」
と激しく迫った。
【中略】 病が進行し、体力が弱っていたはしばらく閣僚たちを残して部屋を出たが帰って来ると、
「私はやめることにした。諸君も辞表を書いてもらいたい」
と蒼ざめた顔で言った。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
「桂内閣B」は「第3次桂内閣」「第三次桂太郎内閣」と同じ意味です。