サラエボ事件
1914/06/28
セルビアの愛国青年がオーストリアの皇太子夫妻を暗殺。バルカンの火薬庫に火がついた。
    
1912/10/17   バルカン戦争@勃発 (〜13/05/30)
1913/06/29   バルカン戦争A勃発 (〜13/07/30)
1914/06/28   サラエボ事件 (オーストリア皇太子夫妻暗殺)
1914/07/05   ドイツ、オーストリアの対セルビア強硬策支持を約束
1914/07/28   オーストリア、セルビアに宣戦布告 (第一次世界大戦勃発)
1914/08/03   ドイツ、ベルギーへの侵入開始 (対仏宣戦布告)
1914/08/04   イギリス、ドイツに宣戦布告
1914/08/23   対独参戦 (宣戦布告)
1914/08/26   タンネンベルクの戦い (〜08/30)
1914/09/05   マルヌの戦い (〜09/12/西部戦線膠着)
1917/03/15   二月革命 (皇帝ニコライ2世退位、ロマノフ朝滅亡)
1917/04/06   アメリカ、対独参戦
1917/11/07   十月革命 (ソビエト政権成立)
1918/03/03   ブレスト・リトフスク条約調印 (ソビエト政府、独墺と講和)
1918/11/09   ドイツ革命
1918/11/11   第一次世界大戦終結
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用大正三年六月二十八日ボスニア(現ユーゴスラビア)の一角、サラエボで轟いた一発の銃声は、 ヨーロッパを大戦に巻きこんだ。 セルビアの愛国党員ガワリーロ・プリンシポフは、大演習の統監に来ていたオーストリアの皇太子フランツ・フェルジナンド夫妻を暗殺した。 私はサラエボに行ったことがあるが、彼が待ち伏せしていたビルの角には彼の顔がレリーフになっており、 その下には彼の靴の跡が石に刻みこんである。 プリンシポフはオーストリア官憲の手に捕らえられたが、十八歳という若さの為に死一等を減じられてプラハの刑務所に送られ、 三年後に死んだ。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。