大浦内相辞任
1915/07/25
大隈内閣Aの恥部噴出。 わいろだ選挙干渉だぁ、で、内相辞任。 政界引退でどうかご勘弁。
    
1914/12/25   衆議院解散
1915/01/07   大隈首相、大浦農商務相を内相に起用 (総選挙に備えて)
1915/03/25   総選挙[12] (同志会153、政友会108、中正会33、国民党27、他60)
1915/07/25   大浦内相辞任 (2個師団増設案成立工作問題で)
1915/07/30   大隈内閣辞表提出
1915/08/03   元老会議、大隈首相を慰留
1915/08/10   3閣僚辞任 (加藤外相若槻蔵相・八代海相/内閣改造)
〜 あああ 〜
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taro's トーク ああああああ
引用第12回総選挙のあと政友会の村野常右衛門が大浦内相を選挙法違反と収賄罪で告発した。
告発内容は大浦が丸亀市から立候補した大正倶楽部の白川友一の対立候補を辞退させるため1万円を受け取ったというものだが、 大浦は増師案の成立を図るため前議会(当時は農商務相)で政友会代議士を脱党させる買収工作をしていたことも判明した。
この事件で白川らの代議士や前代議士10人以上が拘引され、大浦内相は引退した。 大隈内閣も一たん総辞職したが、元老の留任勧告で内閣改造の上、引き続き政権担当した。
引用大正四年五月二十日第三十六議会が開かれ、懸案の二個師増師は可決された。 野党は対支外交がわが国の威信を失墜したとして、内閣不信任案を提出したが否決されると、 大浦内相の収賄をとりあげ、内相の弾劾案を提出した。 政友会の村野常右衛門代議士は大浦を選挙法違反と収賄罪で告発した。 大浦が今回の選挙において丸亀市から立候補した白川友一の対立候補を断念させた謝礼として、 白川から金一万円を受けとったというのである。 さらに大浦は前の議会で増師案を成立させる為、政友会の代議士を脱党させ、大正倶楽部を作らせる為実弾をとばしたことも発覚した。
六月末、白川ら十数名の新旧代議士が拘引され、七月二十九日剛腹といわれた大浦も辞職し、 すべての公職をなげうって隠退した。 彼は起訴猶予となったが翌年十月一日山県系藩閥政府のお目付役として捧げた生涯を閉じた。
大隈内閣は七月三十日総辞職したが、元老会議の留任勧告によって、加藤若槻、八代の三大臣が辞め、 大隈が外相を兼任(十月十三日石井菊次郎)、蔵相・武富時敏、海相・加藤友三郎、 内相・一木喜徳郎、逓相・箕浦勝人、文相・高田早苗というメンバーに改造し、八月十日再発足した。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。