ウイルソン大統領、14ヵ条宣言 1918/01/08
〜 14ヵ条の主な内容 〜
秘密外交の廃止 / 海洋の自由 / 関税障壁の撤廃 / 軍備縮小
植民地問題の公平な解決 / 民族自決 / 国際平和機関の設立
taro's トーク
ケインズはウイルソンのことを「鈍感なドン・キホーテ」と呼んだそうだ。
ケインズさんにざぶとん1枚! taroとしてはそう言いたいところ。
人はたいがい、戦争はなぜなくならないんだろうなんてことを考え、自分の中の利己心や攻撃性や弱さに気づいてゆくものだと思うのだが、
ウイルソンはそういう当たり前の成長過程を持たなかったのではないかという気がする。
「14ヵ条」の惨憺たる結末も彼の鈍感さと無関係ではないだろう。
彼の提案はどれも、一般論としては誰も否定のしようもないものだけれど、
それはいいけどパンをくれ、という人たちがゴマンといることをすっかり失念してしまっているように思える。
ヨーロッパからもアジアからも大洋で隔てられた安全なところで、
がっぽり稼いでいた当時のアメリカの大統領だからこそ、こんなに鈍感でいられたのだろう。
「14ヵ条」が世界に撒き散らした幻想はやがて失望に変わり、新たな戦争のための土壌を用意することになる。
ヒトラーさえウイルソンの産物と見ることができる。
ちなみに彼は牧師の子だ。やれやれ。アーメン。
引用ウィルソン大統領は、【中略】 一八年一月、アメリカの戦争目的が宣戦布告のときと変わっていないことを宣言し、
さらに具体的な目標を掲げた。
上下両院の合同会議で発表された「十四ヵ条(ポイント)」である。
第一は、公開の平和契約(コヴナント)に達すべきこと、いかなる「私的」国際的了解も存在しないことだった。
ついで、平時・戦時を問わない航海の自由、通商における障壁の除去が提示された。
また、各国が安全確保に必要な最低限まで軍備を縮小すること、植民地問題を解決することが提案された。
しかし同時に、「主権の問題を決定するにあたっては、関係住民の利害が同じ比重をもつべきである」とされた。
つまり、宗主国の既得権にも考慮が払われることになり、民族自決の原理が全面的に掲げられたわけではなかったのである。
「十四ヵ条」は、このような一般的な原則の主張についで、戦場となった各地域に関する具体的な問題をあつかっていた。
諸勢力の「ロシア領からの撤退」、ベルギーの主権回復、アルザス=ロレーヌ地方のフランスへの返還、
イタリアの国境問題の解決などが求められた。
また、オーストリア=ハンガリー帝国内の諸民族の自立、ルーマニア、セルビア、モンテネグロなどの処理、
トルコの主権確保、ポーランドの国家的独立などが主張されていた。
いずれもアメリカに直接かかわる問題ではなかったが、戦争を終結するためにはいやおうもなく解決を迫られる問題だった。
さらに「十四ヵ条」の最後に出されたのが、「全般的な諸国家の連合が明確な契約のもとに結成されなければならない」というものだった。
国際連盟の設立構想であり、アメリカが世界平和の主役を担っていこうとする意思を示したものだった。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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