ブレスト・リトフスク条約調印
1918/03/03
革命の約束 「平和」。 レーニンがドイツのきつぅい条件を呑んでロシアに平和をもたらした。
    
1914/07/28   オーストリア、セルビアに宣戦布告 (第一次世界大戦勃発)
1914/08/26   タンネンベルクの戦い (〜08/30)
1914/09/05   英仏露3国、ロンドンで単独不講和を宣言
1917/03/15   二月革命 (皇帝ニコライ2世退位、ロマノフ朝滅亡)
1917/04/06   アメリカ、対独参戦
1917/11/07   十月革命 (ソビエト政権成立)
1917/12/22   ソビエト政府、ドイツ・オーストリアと講和交渉開始
1918/03/03   ブレスト・リトフスク条約調印 (ソビエト政府、独墺と講和)
1918/03/21   ドイツ軍、西部戦線で大反攻開始 (ミヒャエル作戦)
1918/04/05   日英両軍、ウラジオストックに上陸開始
1918/07/08   アメリカ、チェコ軍救援のためウラジオストック日米共同出兵を提案
1918/08/02   シベリア出兵宣言
1918/11/09   ドイツ革命
1918/11/11   第一次世界大戦終結
1919/01/18   パリ講和会議開催 (〜06/28/首席全権:西園寺公望
1919/06/28   ベルサイユ条約調印 (北京政府、調印拒否)
1922/12/30   ソ連邦成立
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taro's トーク ああああああ
引用同盟諸国とロシアとの休戦協定が結ばれたあと、ドイツはブレスト=リトフスクでの講和交渉には応じたが、 「平和の布告」にもりこまれた無併合・無賠償の原則は認めず、領土に関しても厳しい条件をつけた。 一月中旬、レーニンは単独講和の即時締結を提案したが、ボリシェヴィキ指導部にはヨーロッパでの社会主義革命を期待する傾向が強く、 受けいれられなかった。 レーニンは講和交渉引き延ばしの方針で党内の合意をはかった。
しかし、二月に入るとドイツ軍は攻撃を再開し、十二月末の講和提案より厳しい、 ウクライナとバルト地方の独立や巨額の賠償金支払いを内容とするあらたな講和提案を打ち出した。 ボリシェヴィキ指導部の対立は、このドイツ案を受けいれるか否かをめぐり再燃したが、 レーニンが党中央委員会で強く受諾を迫り、受けいれが決められた。 この結果、三月三日、講和条約がブレスト=リトフスク市で締結された。 これに抗議して、ブハーリンは党や政府の職を辞任し、左派社会革命党の人民委員は政府から離脱した。
ソヴィエト政権にとって、ブレスト=リトフスク講和条約は過酷なものであったが、 これによって完全に戦争状態から脱することができた。 国内の混乱はなお続いていたにせよ、第一次世界大戦という戦争のさなかに生じたロシア革命は大きな転機を迎えたのである。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。