原内閣成立
1918/09/29
国民大衆の期待を一身に背負って、“平民宰相” 原敬 登場。
[詳細]【内閣成立史】  
1918/08/02   シベリア出兵宣言
1918/08/03   米騒動 (富山県中新川郡西水橋町→全国に波及)
1918/09/21   寺内内閣総辞職
1918/09/21   西園寺公望に組閣命令 (09/25 辞退)
1918/09/27   原敬(政友会総裁)に組閣命令
1918/09/29   原内閣成立 (首相:原敬
1918/11/11   第一次世界大戦終結
1919/01/18   パリ講和会議開催 (〜06/28/首席全権:西園寺公望
1919/03/01   三・一(万歳)事件 (京城パゴダ広場で朝鮮民衆が独立宣言)
1919/05/04   五・四運動 (天安門広場で学生らがデモ行進)
1919/05/23   選挙法改正 (選挙資格:直接国税10円以上→3円以上)
1919/06/28   ベルサイユ条約調印 (北京政府、調印拒否)
1920/03/15   株価暴落で株式市場大混乱 (→戦後恐慌)
1920/05/24   尼港(ニコライエフスク)事件
1920/11/11   宮中某重大事件
1921/11/04   原首相刺殺事件 (東京駅/犯人:中岡艮一)
1921/11/05   原内閣総辞職
1921/11/12   ワシントン軍縮会議開催 (主席全権:加藤友三郎/〜22/02/06)
1921/11/13   高橋内閣成立 (首相:高橋是清/全閣僚留任)
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用西園寺は二十四日山県を再訪。次のような問答を行った。
「明日参内して拝辞して来ます」
「ふむ、しかして後任をどうされる? 伊東は到底物にならず、平田、清浦も不可なり」
にては如何?」
「それも一案なり、はお受けすべきや」
には話してないが、は自分と異って政党を統御しておる故、党員の意向もあってお受けすべしと思う」
「憲政会と一緒になることはなきや」
「早く内閣を組織すれば心配はないが、長びくと党員の末流同志が提携し、幹部を動かすようになるやも知れず」
は自分をどう思っているか」
「特に隔意なからん。内閣に立つようになれば常に教えを受けることとなる故、閣下より時々注意ありたし」
「そうであろう。と自分は何ら意見の異るものはない。 只、は政党を大多数となして、政党の改良を計るというも予は反対なり。 ほかに異見はなし。の推薦については兄より推薦のこととしたし。松方も一応話してもらいたい」
「ではこれから松方を訪問すべし」
「その前に予より松方に話しおくべし」
こういうわけで、西園寺は徹底的に山県を突き放し、自分でを推薦するところまで山県を追いこんだ。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
「原内閣」は「原敬内閣」と同じ意味です。