アムリツァール虐殺事件
1919/04/13
無恥暴虐の英人司令官の命令で、非暴力の民衆に一斉銃撃。 パンジャブの大弾圧がはじまった。
    
1918/11/11   第一次世界大戦終結
1919/03/18   ローラット法可決 (即時施行/インド)
1919/04/06   非暴力運動@開始 (ガンジーら)
1919/04/13   アムリツァール虐殺事件
1919/06/28   ベルサイユ条約調印 (北京政府、調印拒否)
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用インド、パンジャブ地方の一小都市アムリツァールでも、ハルタルは予想以上の成功をおさめた。 四月九日、民衆のデモに官憲が発砲し、ついに死傷者を出した。 各地で群衆はサティアグラハを忘れ、暴動化した。
四月十三日、民衆の大集会に対し、イギリス軍側は装甲車を用意してこれを弾圧する決心をしめした。 イギリス軍司令官ダイヤは、 「アジア人が尊敬を払うものありとすれば、それは力だけである」という考えかたを持ったイギリス人であったが、 三方を壁で囲まれた広場に集まった約一万の群衆に対して、前触れもなしに射撃を命じた。 弾丸は一六〇五発発射され、死者三七四名、負傷者千名以上におよんだ。
ただちにパンジャブは戒厳令下におかれ、飛行機による農村群衆に対する銃撃、爆撃がおこなわれ、 無差別の逮捕がはじまった。 インド人は、イギリス士官に対しては車馬から降り、傘を閉じて敬礼せよ、 かつて白人女教師が襲われたことのある地点ではインド人はすべて腹を地につけて這って行け、というような命令すらも発せられた。
この惨劇について、パンジャブ以外の地方では何ヵ月にもわたってほとんど報道はもたらされず、 イギリス本国へすら半年以上も記事が差し止められた。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。