尼港(ニコライエフスク)事件
1920/05/24
ずるっちょ日本軍全滅、一般人もパルチザンに皆殺しにされた。 国民の怒り爆発。
    
1917/11/07   十月革命 (ソビエト政権成立)
1918/01/01   イギリス、珍田駐英大使にウラジオストック共同出兵を提案
1918/04/05   日英両軍、ウラジオストックに上陸開始
1918/06/21   ロイド・ジョージ(英)首相、珍田駐英大使にシベリア出兵を要請
1918/07/08   アメリカ、チェコ軍救援のためウラジオストック日米共同出兵を提案
1918/07/17   政府、ウラジオストック出兵同意をアメリカに回答 (兵力制限は拒否)
1918/08/02   シベリア出兵宣言
1918/08/03   米騒動 (富山県中新川郡西水橋町→全国に波及)
1918/09/21   寺内内閣総辞職
1918/11/16   アメリカ、出兵数・シベリア鉄道独占などについて日本政府に抗議
1920/04/01   アメリカ、ウラジオストック撤兵完了
1920/05/24   尼港(ニコライエフスク)事件
1922/06/24   シベリア撤兵声明
1922/10/25   シベリア撤兵完了
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用この事件は、黒竜江口のニコライエフスク(尼港)を占領した日本軍の一支隊が兵力手薄であったため、 大正九年二月二十八日にパルチザンに包囲されて降伏し、隊長、領事らが全滅したことをいうのである。 降伏した日本軍は、独力でこれを挽回するため、三月十一日に降伏協定を破って奇襲反撃に出たが、 かえって破れる結果となった。 残兵と居留民一二二名は捕虜となったが、その後日本援軍の来襲を知ったパルチザンは、 五月二十五日に市中を焼き払い、日本人捕虜を皆殺しにして撤退した。
この事件は、日本国民に多大な衝撃を与えた。 日露戦争で勝った経験が新しいところに、日本軍がロシヤ軍に惨敗し、 居留民まで残虐な殺し方をされたのだから、非常な敵愾心を煽った。 新聞には、捕虜となった日本人が「大正九年五月二十四日午後一二時ヲ忘レルナ」と 獄中の壁に書いた文字が写真に出たりした。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。