ファシスト党結成
1921/11/11
戦後のインフレと失業の中、左翼退治で名を馳せたムッソリーニ、全国組織 ファシスト党を結成。
    
1914/07/28   オーストリア、セルビアに宣戦布告 (第一次世界大戦勃発)
1915/04/26   ロンドン秘密条約調印 (英・仏・露・伊/イタリア、参戦を約束)
1915/05/23   イタリア、対オーストリア宣戦布告
1918/11/11   第一次世界大戦終結
1919/04/23   イタリア、フィウメ帰属問題でパリ講和会議を脱退 (05/06 復帰)
1919/06/28   ベルサイユ条約調印 (北京政府、調印拒否)
1921/11/11   ファシスト党結成 (ローマ)
1922/10/28   ファシスト党、ローマ進軍
1922/10/31   ムッソリーニ、イタリア首相就任
1922/11/25   ムッソリーニ(伊)首相、独裁権獲得 (秩序回復のため)
1924/01/27   ローマ盟約調印 (イタリア、フィウメ獲得)
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用社会党は農業労働者の掌握に成功して農村部でも勢力を伸ばし、二〇〇〇以上の自治体を掌握した。 労働者や零細農民の直接行動に私有財産の危機を感じた地主や土地を得た農民は、自由主義政府の支援を求めた。 だが、それがないとわかると、かれらはファシストの武装行動隊(スクァドロ)に参加し、 二〇年秋から農村部の社会党組織や労働組合事務所、活動家を「懲罰遠征」と称するテロで襲撃した。 警察の黙認、地主・工業界からの資金援助もあって、このテロ行動は効果をあげ、 二一年の農業労働者のストは前年の一割以下に激減した。 このころから、「ファシズム」「ファシスト」は、戦士のファッショやその行動、思想を指す用語として広まり、 一九年末で八七〇名だった戦士のファッショは、二〇年末には二万人、二一年には一〇万人に拡大した。
だが農村地域でのファシズムは、ムッソリーニの都市型ファシズムとは性格が異なり、 ラスとよばれたそれぞれの地方ボスに指導され、ムッソリーニの権威を無視しがちであった。 これに気づいたムッソリーニは、二一年十一月、全国ファシスト党を結成して、組織内の政治的統制を強め、 同時にみずからの指導権を確認させた。 新党綱領は、以前にくらべて国家主義的色彩が濃くなった。 ムッソリーニがドゥーチェ(指導者)とよばれるのはこれ以降のことである。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。