陸軍軍縮計画(山梨軍縮)発表 1922/07/04
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用この時期はロシアの脅威が少なくとも一時的には大幅に軽減し、
海軍軍縮の成功によりアメリカとの衝突の可能性も当面あり得なくなった。
日本に直接大きな脅威を与える国は見当たらなかった。
そうした状況下で海軍が大規模な軍縮に着手している以上、
陸軍としても軍縮要求にまったく耳を貸さないでいることは許されなくなる。
ついに一九二二年、加藤友三郎内閣の陸相山梨半造(旧八期)は軍縮に踏み切り、
翌年にも小規模の軍縮を実施した。
この二回のいわゆる山梨軍縮は、約六万人の将兵、一万三〇〇〇頭の馬を削減するものであった。
これ対しては、しかしながら、不徹底であるとの批判が強かった。
一九二三年、関東大震災が起こると、政府はその復旧・復興を優先すると同時に、
行財政整理を実施しようとする。陸軍軍縮はその一環としてあらためて提起されることになった。
戸部良一 「日本の近代(9)」
P.226この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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