孫文・ヨッフェ共同宣言 1923/01/26
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用二二年八月、孫文は広東軍閥陳炯明の反乱に遭い、
広東を脱出して上海に着いた。
彼はここで共産党員の李大サ、陳独秀らと接触し、彼らの協力を得て国民党の改革を本格的に進めはじめた。
そして二三年一月、ソビエト政府代表ヨッフェとともに、「中国にとって最も緊急の課題は民国の統一と完全なる独立にあり、
ソ連はこの大事業に対して熱烈な共感をもって援助する」という共同宣言を発表して、
「連ソ容共」への転換を鮮明に示した。
このあと孫文は三たび広東におもむいて、ここに大元帥府を設けて国民革命を推進するための拠点を据えた。
ソビエトは政治顧問ボロディン、軍事顧問ガレンらを送ってこれを援助した。
小島晋治・丸山松幸 「中国近現代史」
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※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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