孫文・ヨッフェ共同宣言
1923/01/26
孫文がソ連共産党と接近。 これが国共合作への第1歩だった。
    
1919/10/10   中国国民党結成 (中華革命党を改組/孫文ら)
1921/07/01   中国共産党創立大会 (上海)
1922/02/27   孫文、北伐宣言@ (桂林)
1922/08/09   孫文、北伐失敗
1923/01/26   孫文・ヨッフェ共同宣言 (上海)
1924/01/20   国共合作@成立
1924/05/31   中ソ国交回復
1924/06/16   孫文、黄埔軍官学校開校 (校長:蒋介石
1924/09/18   孫文、北伐宣言A
1925/03/12   孫文病死 (北京)
1926/03/20   中山艦事件 (蒋介石、戒厳令を公布し、共産党員逮捕)
1926/07/09   蒋介石、北伐開始
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用二二年八月、孫文は広東軍閥陳炯明の反乱に遭い、 広東を脱出して上海に着いた。 彼はここで共産党員の李大サ、陳独秀らと接触し、彼らの協力を得て国民党の改革を本格的に進めはじめた。 そして二三年一月、ソビエト政府代表ヨッフェとともに、「中国にとって最も緊急の課題は民国の統一と完全なる独立にあり、 ソ連はこの大事業に対して熱烈な共感をもって援助する」という共同宣言を発表して、 「連ソ容共」への転換を鮮明に示した。 このあと孫文は三たび広東におもむいて、ここに大元帥府を設けて国民革命を推進するための拠点を据えた。 ソビエトは政治顧問ボロディン、軍事顧問ガレンらを送ってこれを援助した。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。