甘粕事件
1923/09/16
憲兵大尉が社会主義者と妻、幼い甥っこまで拉致し、絞め殺し、井戸に捨てた。
    
1923/09/01   関東大震災
1923/09/02   東京に戒厳令
1923/09/02   山本内閣A成立 (首相:山本権兵衛
1923/09/02   朴烈・金子文子夫妻逮捕
1923/09/03   戒厳司令官に福田雅太郎を任命
1923/09/04   亀戸事件
1923/09/07   東京市内の夜間通行禁止
1923/09/16   甘粕事件 (犯人:甘粕正彦
1923/09/20   福田戒厳司令官辞任 (甘粕事件のため/後任:山梨半造
1923/11/10   国民精神作興に関する詔書
1923/12/27   虎の門事件 (摂政宮襲撃/犯人:難波大助)
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taro's トーク ああああああ
引用9月16日、社会主義者大杉栄(39)が妻の伊藤野枝(29)、おいの橘宗一(7)とともに行方不明となり、 憲兵隊に殺されたという噂が広まった。
20日、東京憲兵隊渋谷分隊長兼麹町分隊長の甘粕正彦大尉が「違法行為」を理由に軍法会議にかけられることになった。 福田雅太郎戒厳司令官が更迭され、憲兵司令官の小泉五一少将は停職となった。
24日、軍法会議予審が終わり、甘粕が大杉ら3人を殺したことが発表されて事件の全容が明らかになった。 それによると甘粕は、大杉が震災に乗じて混乱を起こすかも知れないので殺すことを決め、 9月16日夕、自宅近くで大杉らを拉致、麹町憲兵分隊に連行し、同夜、取り調べを装いながら次々に絞め殺した。 死体は構内の古井戸に投げ入れて埋めてしまった。
甘粕は一個人の判断で殺害したと主張した。 上官の関与もしくは関知が疑われたが、軍法会議は背後関係を一切追及しなかった。 12月8日の判決では甘粕が懲役10年、共犯の森慶次郎曹長は同3年が言い渡された。
甘粕は3年で仮出所し、満州にわたり、満州映画協会理事長などを務め、20年8月の終戦でピストル自殺するまで 軍をバックに権力をふるった。
引用さらに大きな事件となったのが、無政府主義者として、 またベストセラーになったファーブルの『昆虫記』の翻訳者としても有名な大杉栄、伊藤野枝の夫妻をその六歳の甥ともども、 麹町憲兵分隊長の甘粕正彦憲兵大尉らが拉致し、 憲兵隊内で殺害した事件であった。 この事件は殺された幼児が米国籍であったということもあり、閣議の問題となった。
結局、甘粕らは軍法会議にかけられ、 福田戒厳司令官は更迭された。 軍法会議で大杉殺害事件は甘粕の個人的犯行とされ、その上官への追及はおこなわれなかった。 おなじ構内にある憲兵司令部勤務(憲兵司令官副官)の上砂勝七憲兵大尉は、 自分も社会主義者の福田狂二の殺害を命じられたと、手記に書きのこしている。 ただ、上砂も殺害を命じた上官がだれであったか、書いていない。 上砂は福田をおそったが、福田が家族ともども大阪に避難する準備をしていたので、見のがすことにしたという。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。