亀戸事件 1923/09/04
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用大正十二年九月一日に大震災が起き、その際、
社会主義者や朝鮮人が暴動を起すという流言飛語が流れ、朝鮮人の大虐殺が行われる一方、
社会主義者はほとんど予防検束をうけた。
大杉栄などが憲兵隊に引張られ甘粕大尉に絞殺されたことでも分るように、
亀戸署でも管内の要注意人物として監視していた河合義虎、平沢計七、鈴木直一など九名を逮捕した。
このとき、渡政は第一次共産党検挙で市ヶ谷監獄に拘禁されていたため難を逃れている。
河合たちは、停電で真暗な留置場で革命歌を高唱した(当局発表)。
亀戸署では彼らがほかの検束者を煽動して騒ぎを大きくするものと恐怖し、
近くに出動駐屯していた習志野の軍隊に応援を求めた。
将兵は彼らを警察敷地内の広場につれだし、銃剣で殺してしまった。
警察ではその事件の発覚をおそれ、遺族にはすでに釈放したとか、そんな者は知らないとかいって、
死体は荒川放水路土手に穴を掘って焼き、さらにいずれにか運び去った。「亀戸事件」といわれるものである。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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