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ドイツ、レンテンマルク発行開始 1923/11/15
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用一九二三年のドイツは、インフレという一言で描写されるであろう。
そのインフレのすさまじさは、たぶん世界史上空前であり、そのごも記録は破られていない。
発端はルール占領にともなう住民のサボタージュ抵抗にたいして、ドイツ政府が一日四千万マルクの補助金の支出を決定したことにある。
ルール地方のドイツ人市民は職を捨てての抵抗をしているのだから、
その生活維持のための資金援助は当然だが、政府は、一日四千万マルクにみあう財源がないままに、
紙幣増刷だけの措置をとった。
とたんにインフレは激化した。
それまでにもすでにインフレ傾向は現出していて、マルクの対米ドル為替レートは一月はじめに七千五百二十五マルクに下り、
さらにルール占領と同時に一万八千マルクになっていたものが、急速度で下降線をたどりはじめた。
一日四千万マルクの紙幣増発は、一ヵ月では十二億マルク、半年では七十二億マルクとなるが、
インフレはその増刷ぶんだけにはとどまらず、
紙幣が紙幣を呼ぶ形で幾何級数的に昂進するのである。
八月には、国立ドイツ中央銀行は一日四十六兆マルクを印刷しても間にあわず、
地方政府や大企業が自製の紙幣を発行したり、千マルク紙幣に一億の数字を赤くスタンプして流通させる始末になった。
為替レートは、七月一日に一ドル=十六万マルク、八月一日に一ドル=百万マルク、
さらに十月一日には一ドル=二億五千万マルクと下り、十一月一日にはなんと一ドル=四兆二千百五億マルクという、
文字どおり無意味な相場になってしまう。
政府は、そこで、十一月十五日、一兆分の一に平価を切り下げた「レンテンマルク」を発行して、
インフレをデフレに転化させる。
したがって、ドイツの狂気じみたインフレもほぼ一九二三年一年間にとどまったわけだが、
その間のドイツ社会はまさに狂乱という形容がふさわしい状態であった。
引用ドイツが賠償金支払いに行き詰ると、フランスは不履行を責めて、ルール地方の占領を考えはじめ、
ついに二三年一月に軍隊を派遣するにいたった。
同時に、一ドルは一万八〇〇〇マルク、つまり戦前の四三〇〇〇分の一になった。
さらに十一月には、実に四兆二〇〇〇億マルクという信じがたい状況になった。
こうしてドイツでは、紙幣をいくら印刷しても間に合わず、
ついには古い紙幣の上に数字だけ印刷するようになった。
人びとは買い物をするために、お金をリュックサックにつめたり、はては手押し車に載せて運ぶようになった。
物の値段は日に日に変わるどころか、時間ごとに値上がりするようになったのである。
ドイツ政府はこの天文学的な数字のインフレに対して、価値のなくなった古いマルクに代えて、
新しい通貨を発行することを考えた。
さまざまな案のなかには、ドイツが大量に生産できるライ麦を基礎にした「ライ麦マルク」などという考えもあった。
しかし最終的には、土地など不動産を担保にした「レンテンマルク」が発行されることになった。
「レンテン」とは、レンテの複数形で地代とか利子、あるいは年金という意味である。
こうして、新しい発券銀行として「レンテンバンク」が設けられた。
農業用地や工業資産から一定の利子を受けとり、それを元本にして銀行券を発行する仕組みだった。
ともあれ、それまでの通貨の一兆倍の価値をもつ新通貨が発行され、新しく流通することになった。
インフレは急速に収まった。
この「レンテンマルクの奇跡」によって、ドイツ経済は復興への道を歩みはじめたのである。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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