加藤(高)内閣(護憲三派内閣)成立
1924/06/11
政党政治、最大のチャンス! 憲政会・政友会・革新倶楽部が連立内閣を組織。
[詳細]【内閣成立史】  
1924/01/10   護憲運動A開始
1924/01/16   政友会分裂 (清浦内閣支持派148名が離党)
1924/01/29   政友本党結成 (床次竹二郎ら)
1924/05/10   総選挙[15] (憲政151、政友105、革新30、政友本党109、他69)
1924/06/07   清浦内閣総辞職
1924/06/09   加藤高明に組閣命令
1924/06/09   加藤高明、高橋・犬養両党首を訪問、3派連立を協議
1924/06/11   加藤(高)内閣(護憲三派内閣)成立 (首相:加藤高明
1924/07/01   浜口蔵相、国会で行財政整理・緊縮方針を表明
1924/09/02   実行予算3000万円節約を閣議決定
1925/04/22   治安維持法公布
1925/05/01   陸軍軍縮計画(宇垣軍縮)発表
1925/05/05   普通選挙法公布 (男子普通選挙)
1925/05/14   革新倶楽部右派(犬養毅ら)、政友会に合流
1925/05/28   犬養毅(逓相)、政界引退を発表 (05/30 逓相辞任)
1925/07/31   加藤(高)内閣(護憲三派内閣)総辞職
1925/08/02   加藤(高)内閣(憲政会単独内閣)成立 (政友会、政権を離脱)
1926/01/28   加藤高明没 (首相)
1926/01/28   加藤(高)内閣総辞職
1926/01/30   若槻内閣@成立 (首相:若槻礼次郎/全閣僚留任)
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taro's トーク ああああああ
引用憲政会総裁の加藤高明が、憲政・政友・革新の三派連合のいわゆる護憲三派内閣を組閣した。 政友会総裁の高橋是清が農商務大臣として、革新倶楽部総理の犬養毅が逓信大臣として入閣した。 三派内閣は、日ソ国交回復を実現し、普通選挙法を成立させた。 しかし、同時に、日ソ国交回復と労働者階級の選挙権公使から予測される共産主義運動を弾圧するために、 治安維持法を制定した。 その後、高橋は大臣を辞して政友会総裁のポストを陸軍をしりぞいた田中義一にゆずり、 犬養も大臣を辞して革新倶楽部は政友会に合流した。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
「加藤(高)内閣」は「加藤高明内閣」と、「護憲三派内閣」は「第一次加藤内閣」「第1次加藤高明内閣」と同じ意味です。