治安維持法公布
1925/04/22
共産主義者取締りのため、あの悪名高き治安維持法、ここに誕生。
    
1924/01/07   清浦内閣成立 (首相:清浦奎吾
1924/01/10   護憲運動A開始
1924/05/10   総選挙[15] (憲政151、政友105、革新30、政友本党109、他69)
1924/06/07   清浦内閣総辞職
1924/06/09   加藤高明に組閣命令
1924/06/09   加藤高明、高橋・犬養両党首を訪問、3派連立を協議
1924/06/11   加藤(高)内閣(護憲三派内閣)成立 (首相:加藤高明
1925/04/22   治安維持法公布
1925/05/01   陸軍軍縮計画(宇垣軍縮)発表
1925/05/05   普通選挙法公布 (男子普通選挙)
1926/01/15   京都学連事件
1928/03/15   三・一五事件 (共産党関係者一斉検挙)
1928/06/29   治安維持法改正@
1929/03/05   山本宣治(衆議院議員)刺殺事件
1929/03/05   衆議院、治安維持法改正緊急勅令を事後承認
1941/03/10   治安維持法改正A (強化)
〜 もし共産党に入ったら 〜
ただそれだけで、10年以下の懲役・禁固
taro's トーク 多喜二は働き者で、心やさしい親孝行者だった。苦労人で、人の不幸を見過ごすことのできない人柄だった。 きびしい現実の中でも、高く理想をかかげる信念の人だった。 その多喜二が死んだ。警察から死んで帰ってきた。 繰り返されたさまざまな拷問の跡がその死体に如実だった。 年老いた母親が号泣したこと、親しき者たちが悲しみと、そして抑えがたい憤りを感じたこと、誰もがなぜと考えたことは言うまでもない。 あの多喜二をこんなにしたのが治安維持法だ。 加藤高明さん高橋是清さん犬養毅さん、あんたたちはこの事実をどう考える! もちろん多喜二だけのことではない。 普通選挙法と引き換えに、護憲運動が世に不信と憎悪のタネをまく法律をつくったのだと、taroは信じている。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。