田中義一、政友会総裁D就任
1925/04/13
めざすは首相の座! スカウトされた陸軍大将、持参金持って政党の総裁に就任。
    
1921/12/21   高橋是清、政友会総裁C就任
1924/01/10   護憲運動A開始
1924/01/16   政友会分裂 (清浦内閣支持派148名が離党)
1924/01/29   政友本党結成 (床次竹二郎ら)
1924/06/07   清浦内閣総辞職
1924/06/11   加藤(高)内閣(護憲三派内閣)成立 (首相:加藤高明
1925/04/13   田中義一、政友会総裁D就任
1925/04/22   治安維持法公布
1925/05/05   普通選挙法公布 (男子普通選挙)
1925/05/14   革新倶楽部右派(犬養毅ら)、政友会に合流
1925/07/31   加藤(高)内閣(護憲三派内閣)総辞職
1925/07/31   政友会・政友本党、両党幹部が提携を申し合わせ
1925/08/02   加藤(高)内閣(憲政会単独内閣)成立 (政友会、政権を離脱)
1926/02/12   政友本党脱党の鳩山一郎ら、政友会に合流
1926/03/04   中野正剛、陸軍機密費問題で田中総裁(政友会)を追及
1926/03/05   元二等主計、田中総裁(政友会)を機密費横領で告発
1927/04/20   田中(義)内閣成立 (首相:田中義一
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
語録 田中大将の政党入りは、予定の筋書に多少の手違ひが生じて小なる政友会の総裁にならねばならぬ羽目となった。  【中略】 然るに彼の周囲には鶏鳴狗盗的の策士か然らずんば功をあせるが為に迎へたる輩が囲繞して居るから中々危険である。
宇垣一成 (陸相)
引用高橋は政友会総裁を引退することを声明し、四月十三日政友会は田中義一を総裁に推戴することを決議し、 四月十四日政友会臨時大会で田中は総裁に就任した。 政友会は第五代目の総裁に中国大陸進出(侵略)で評判の悪い長閥の陸軍大臣を選んだのである。なぜか?
田中引き出しの先棒をかついだのは横田でその死後は小泉三申が引き継いだ。 前年(大正十三年)十一月頃横田高橋が次期総裁について話し合ったとき、伊東巳代治、田、後藤新平田中義一の名があがり、 田中がよかろうということになった。 (伊東は金に汚いということで評判が悪く田、後藤は政友会の長老野田大塊、岡崎邦輔との折合いが心配され、 結局無色透明の田中の方がシャッポとして操縦し易く、政権をとった場合にもよかろうということらしい。 人がいないとは言いながら立憲政友会も血迷ったものである)
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。