犬養毅(逓相)、政界引退を発表
1925/05/28
普選実現を政治生活の区切りに。 “歩く憲政博物館” 犬養毅、引退を表明。
    
1922/11/08   革新倶楽部結成 (犬養毅尾崎行雄島田三郎ら)
1924/01/10   護憲運動A開始
1924/05/10   総選挙[15] (憲政151、政友105、革新30、政友本党109、他69)
1924/06/07   清浦内閣総辞職
1924/06/09   加藤高明、高橋・犬養両党首を訪問、3派連立を協議
1924/06/11   加藤(高)内閣(護憲三派内閣)成立 (首相:加藤高明
1925/04/22   治安維持法公布
1925/05/01   陸軍軍縮計画(宇垣軍縮)発表
1925/05/05   普通選挙法公布 (男子普通選挙)
1925/05/14   革新倶楽部右派(犬養毅ら)、政友会に合流
1925/05/28   犬養毅(逓相)、政界引退を発表 (05/30 逓相辞任)
1925/07/31   加藤(高)内閣(護憲三派内閣)総辞職
1925/08/02   加藤(高)内閣(憲政会単独内閣)成立 (政友会、政権を離脱)
1929/10/12   犬養毅、政友会総裁E就任
1931/12/13   犬養内閣成立 (首相:犬養毅
1932/05/15   五・一五事件 (犬養首相暗殺)
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク 犬養毅とは何だったのか。これはtaroの永遠のテーマだ。 検定教科書をみると、犬養はあたかも立派な人であるかのごとく書かれている。 ところが、いったいどこが立派なのかはさっぱりわからない。 しかたがないのでtaroなりに調べてみると、功よりも罪の方が目につく。 犬養の罪、それもきわめつけの罪は統帥権干犯問題を起こしたことだ。 野党の党首だった彼が軍部の尻馬に乗って、政府が結んだ軍縮条約を国会で攻撃。 これが、テロの時代の幕開けに貢献し、政党政治を終焉に導くことになる。 このマイナスにもかかわらず、いったいどういうわけで、 世間が犬養を評価するのか、そのメカニズムをいつかは知りたいと思っている。 彼がこんな途轍もない罪を犯したのは、引退宣言のずっと後のことで、 だから、犬養が宣言どおりに引退しなかったことをtaroはとても残念に思っている。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。