加藤(高)内閣(護憲三派内閣)総辞職 1925/07/31
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク
日露戦争の勝利で世界の「一等国」の仲間入りした日本が転落をはじめる、そのターニングポイントがこの日だったとtaroは思っている。
悲願の普通選挙を実現した途端、二大政党はそれぞれの本性をあらわした。
袂を分かったこの日以降、醜い泥仕合を演じ、
統帥権干犯問題、満州事変のあと、五・一五事件でついに政党政治が終焉。
転がりはじめたらもう止まらない。天皇機関説問題では、議会人が議会政治を自己否定し、
最後は政党が集団自殺、墓碑銘は大政翼賛会だ。
たかだか選挙制度を変えたぐらいでもう目的を見失う、政党人たちの志の低さが命取りだったと言えなくもない。
政治家の質ってのは、10年、20年の幅でみると、国民の幸せに直結しちゃうんだな、これが。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
「加藤(高)内閣」は「加藤高明内閣」と、「護憲三派内閣」は「第一次加藤内閣」「第1次加藤高明内閣」と同じ意味です。 |