加藤(高)内閣(護憲三派内閣)総辞職
1925/07/31
目標の達成は目的の喪失!? 憲政会と政友会の主導権争いで内閣 空中分解。
    
1924/01/10   護憲運動A開始
1924/06/07   清浦内閣総辞職
1924/06/09   加藤高明、高橋・犬養両党首を訪問、3派連立を協議
1924/06/11   加藤(高)内閣(護憲三派内閣)成立 (首相:加藤高明
1924/07/01   浜口蔵相、国会で行財政整理・緊縮方針を表明
1924/09/02   実行予算3000万円節約を閣議決定
1925/04/22   治安維持法公布
1925/05/01   陸軍軍縮計画(宇垣軍縮)発表
1925/05/05   普通選挙法公布 (男子普通選挙)
1925/05/14   革新倶楽部右派(犬養毅ら)、政友会に合流
1925/05/28   犬養毅(逓相)、政界引退を発表 (05/30 逓相辞任)
1925/07/31   加藤(高)内閣(護憲三派内閣)総辞職
1925/07/31   政友会・政友本党、両党幹部が提携を申し合わせ
1925/08/02   加藤(高)内閣(憲政会単独内閣)成立 (政友会、政権を離脱)
1926/01/28   加藤高明没 (首相)
1926/01/28   加藤(高)内閣総辞職
1926/01/30   若槻内閣@成立 (首相:若槻礼次郎/全閣僚留任)
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク 日露戦争の勝利で世界の「一等国」の仲間入りした日本が転落をはじめる、そのターニングポイントがこの日だったとtaroは思っている。 悲願の普通選挙を実現した途端、二大政党はそれぞれの本性をあらわした。 袂を分かったこの日以降、醜い泥仕合を演じ、 統帥権干犯問題、満州事変のあと、五・一五事件でついに政党政治が終焉。 転がりはじめたらもう止まらない。天皇機関説問題では、議会人が議会政治を自己否定し、 最後は政党が集団自殺、墓碑銘は大政翼賛会だ。 たかだか選挙制度を変えたぐらいでもう目的を見失う、政党人たちの志の低さが命取りだったと言えなくもない。 政治家の質ってのは、10年、20年の幅でみると、国民の幸せに直結しちゃうんだな、これが。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
「加藤(高)内閣」は「加藤高明内閣」と、「護憲三派内閣」は「第一次加藤内閣」「第1次加藤高明内閣」と同じ意味です。