三・一五事件
1928/03/15
初の普選総選挙 大善戦で意気あがる無産左派勢力に、田中(義)内閣が治安維持法で大弾圧。
    
1925/04/13   陸軍現役将校学校配属令公布
1925/04/22   治安維持法公布
1925/05/05   普通選挙法公布 (男子普通選挙)
1926/01/15   京都学連事件
1926/03/05   労働農民党結成
1927/07/15   27年テーゼ (コミンテルン日本問題委員会)
1928/02/01   共産党機関紙「赤旗」創刊
1928/02/20   総選挙[16] (政友会217、民政党216、無産諸派8、他25)
1928/03/15   三・一五事件 (共産党関係者一斉検挙)
1928/06/29   治安維持法改正@
1929/03/05   衆議院、治安維持法改正緊急勅令を事後承認
1929/03/05   山本宣治(衆議院議員)刺殺事件
1929/04/16   四・一六事件 (共産党員全国一斉検挙/党組織に壊滅的打撃)
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
語録 突如として行われたこの全国に亙る一斉検挙は、共産党に一大衝撃を与え、 その組織の上にも大混乱を来したことは明らかである。 彼らの秘密組織は、縦の連絡はよく保たれているが、横の連絡がない。 したがってこの検挙がどこまで及んだものか、最高幹部にも急には見当がつかなかった。
纐纈弥三 (特高課長)
引用日本共産党は第一回普選に徳田球一、山本懸蔵、南喜一、杉浦啓一などを労農党から立候補させ、 独自の選挙スローガンをたてて闘った。 そればかりでなく、二月一日には「二七年テーゼ」にもとづく共産党の大衆的基礎確立の方針にしたがって非合法機関紙『赤旗』を創刊し、 労働者・農民の前に公然とその姿をあらわし、 さらに選挙戦のなかでは「天皇と結びついた資本家と地主の議会を破壊し、 労農の民主的議会を作れ!」などの方針をかかげたビラ・ポスターなどを街頭に貼付するなどの活動を通じて、 前衛党である共産党の存在とその方針を大衆に訴えた。  【中略】 しかし一方では総選挙のなかで党の公然化を実行したことのマイナス面も出てきていた。 それは官憲側が党の存在ばかりでなく組織についても相当の知識をえたことであった。 そのために日本共産党は党組織の防衛の対策をたて三月一〇日には「細胞活動の報告についての指令」、 その前後に「組織上に関する指令」を発し、合法と非合法、公然と非公然の問題に関する詳細な指示を与えたが、 その時期には政府・警察当局は一斉検挙方針を決定していた。
三月一五日未明、田中内閣は全国二一の検事局を動員し、全国一斉に大検挙を行ない、 一〇〇〇人をこえる戦闘的労働者、農民、インテリゲンチャを検挙し、 四〇〇以上の労農党、評議会、日農その他左翼団体の事務所を捜索し、数十万点にのぼる書類を没収した。
京都では、三月一四日内務省より一斉検挙の指令を受けた警察当局は検事局と協議し、 一五日午前三時各警察署に刑事を集め打合せを行ない、六時を期して一斉検挙、家宅捜索を開始した。 捜査が行なわれたのは労農党の各事務所、評議会、京大社研合宿所をはじめ三九ヵ所、検挙者は一五日だけで八〇名をこした。 そして警察当局は徹底した拷問によって党員であるかどうかの自供、他の党員名の自白、 党員名簿の隠し場所などの自供をせまり、その自供にもとづいてさらに一八日、二二日に家宅捜索と検挙を行なった。 この間に検挙された者は一〇〇名をこえ、起訴された者は谷口善太郎、宮崎菊二など三一名である。 しかし、事件の内容に関しては四月一〇日の警察当局の発表が翌日の新聞にのったほかは、 九月一〇日三一名の被起訴者の予審終結決定まで記事掲載禁止になっており一般には報道されなかった。
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