張作霖、北京総退却を命令 1928/05/30
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用国民革命軍は、済南で日本軍の強硬な抵抗をうけたため、
済南を迂回して北京にむけ進撃をつづけた。
五月中旬には、張作霖大元帥のいる北京の攻略も間近に迫った。
もし北京が革命軍の手におちれば、張作霖は本拠地の満州に逃げこむであろう。
革命軍がなおも追撃をつづけ、東三省に戦火が拡大すれば、満州における日本の権益は重大な脅威にさらされる。
五月一六日、田中内閣は、閣議で、「戦乱京津地方に進展し其の禍乱満州に及ばんとする場合は、
帝国政府としては満州治安維持の為、適当にして且有効なる措置を執る」の方針を決定し、
北京駐在の芳沢公使を通じて、そのむねを張作霖に伝えさせた。
「適当にして且有効なる措置」とは、張作霖の軍隊が、北京付近で戦闘がはじまる前に満州へ引き揚げるならば
問題はないが、もし革命軍と一戦をまじえて敗北した場合には、満州帰還を認めず、
長城で阻止するというものである。
これにたいし張は、自分が失脚すれば中国が赤化してしまうと反対した。
しかし張は、情勢は自分に不利とし、日本政府の決意も予想以上に固いと判断し、
結局、日本の満州引き揚げ勧告をうけいれざるをえなかった。
張は、全軍に総退却を命じ、六月三日早朝、満州へむけて北京を発つことにした。
中村政則 「昭和の歴史(2)」
P.121この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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