張作霖、北京総退却を命令
1928/05/30
日本政府からの指令を受けて、張作霖、満州への総退却を開始。
    
1926/07/09   蒋介石、北伐開始
1927/04/12   蒋介石、上海クーデター (国共分離)
1927/04/18   南京国民政府成立
1927/05/28   山東出兵@
1927/06/27   東方会議開催 (対中政策決定)
1928/04/07   北伐再開
1928/04/19   山東出兵A
1928/05/03   済南事件
1928/05/08   山東出兵B
1928/05/11   日本軍、済南占領
1928/05/30   張作霖、北京総退却を命令
1928/06/04   満州某重大事件 (張作霖爆殺)
1928/06/09   北伐軍、北京入城 (北伐完了)
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用国民革命軍は、済南で日本軍の強硬な抵抗をうけたため、 済南を迂回して北京にむけ進撃をつづけた。 五月中旬には、張作霖大元帥のいる北京の攻略も間近に迫った。 もし北京が革命軍の手におちれば、張作霖は本拠地の満州に逃げこむであろう。 革命軍がなおも追撃をつづけ、東三省に戦火が拡大すれば、満州における日本の権益は重大な脅威にさらされる。
五月一六日、田中内閣は、閣議で、「戦乱京津地方に進展し其の禍乱満州に及ばんとする場合は、 帝国政府としては満州治安維持の為、適当にして且有効なる措置を執る」の方針を決定し、 北京駐在の芳沢公使を通じて、そのむねを張作霖に伝えさせた。 「適当にして且有効なる措置」とは、張作霖の軍隊が、北京付近で戦闘がはじまる前に満州へ引き揚げるならば 問題はないが、もし革命軍と一戦をまじえて敗北した場合には、満州帰還を認めず、 長城で阻止するというものである。 これにたいしは、自分が失脚すれば中国が赤化してしまうと反対した。 しかしは、情勢は自分に不利とし、日本政府の決意も予想以上に固いと判断し、 結局、日本の満州引き揚げ勧告をうけいれざるをえなかった。
は、全軍に総退却を命じ、六月三日早朝、満州へむけて北京を発つことにした。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。