米・ウォール街、株価大暴落 (→世界恐慌)
1929/10/24
世界の金融センターを襲った “暗黒の木曜日”。 だが、これが序曲だったとは。
    
1918/11/11   第一次世界大戦終結
1919/06/28   ベルサイユ条約調印 (北京政府、調印拒否)
1927/03/14   片岡蔵相失言 (→金融恐慌)
1929/06/07   ヤング案発表 (ドイツ賠償金支払い問題)
1929/08/06   ハーグ会議開催 (〜08/31/ヤング案・ラインラント撤兵問題)
1929/10/24   米・ウォール街、株価大暴落 (→世界恐慌)
1930/01/11   金解禁 (蔵相:井上準之助
1930/11/14   浜口首相狙撃事件 (東京駅/犯人:佐郷屋留雄)
1931/05/11   クレジット・アンシュタルト銀行(墺)倒産
1931/06/20   フーバー・モラトリアム
1931/09/18   柳条湖事件 (満州事変勃発)
1931/12/13   金輸出再禁止 (蔵相:高橋是清
1932/05/15   五・一五事件 (犬養首相暗殺)
1932/06/16   ローザンヌ会議開催 (〜07/09/ドイツ賠償金支払い問題)
1932/07/21   オタワ連邦会議 (〜08/20)
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用カチカチと音をさせながら飛び出してくるティッカーのテープは、大引けになってからあと四時間も動いていた。 この日一日だけで一三〇〇万株が売られた。 ニューヨーク株式取引所の周囲は不穏な空気につつまれ、警官隊が出動して警戒にあたらなければならなかった。 シカゴとバッファローの取引所は閉鎖され、投機業者で自殺したものは、この日だけで一一人に及んだ。
この日からは、株価は下がる一方であった。 そして最悪の日といわれる十月二十九日がやってきた。 一六四〇万株がこの日だけで売りに出され、とうとう午後には取引所の大扉は閉められなければならなかった。 この日だけで、株価は平均四三ポイント下がり、だいたい九月の半分ぐらいになってしまったのである。
引用一九二九年十月二十四日、ニューヨーク株式市場で突然に大量の売りが出て、株が大幅に値下がりした。 この「暗黒の木曜日」が、アメリカの大恐慌、つづいて起こった世界恐慌の始まりだった。 それは皮肉なことに、二〇年代の繁栄の守護神のように思われたハーバート・フーヴァーが大統領に就任してから、 わずか半年あまり後のことだった。
しかし、株の値段が下がっただけで大恐慌になるわけではない。 それにつづいて、物が売れなくなり、仕事がなくなり、労働者が職を失い、職と食を求めてさまようホームレスがあらわれる。 工場や会社が次々と閉鎖され、倒産するようになる。 あらゆる経済活動が低下し、社会の秩序が混乱する状態になって、大恐慌となるのである。
引用一九ニ九年(昭和四)一〇月二四日の朝、ニューヨークのウォール街を、 株式市場最悪の暴落がおそった。 すでに何日にもわたってニューヨーク株式取引所の相場は下落をつづけていたが、 この日の朝、ついに気違いのような恐慌がおこったのだ。 チッカー(相場表示テープ)は、主力株が売りに出されるたびに、二ドル、三ドルと下げ、 ときには五ドルの下落を伝えた。 USスティール、ゼネラル=エレクトリックなどの花形株が枕をならべて暴落を演じた。
のちに「暗黒の木曜日」として知られるこの日一日だけで、一二八九万四六五〇株が売買されたが、 株式取引所の事務員が株価を読みあげるたびに、つめかけた投資家たちは息をのんだ。 わずか数週間前に四〇〇ドル前後であったゼネラル=エレクトリック株は、 この朝三一五ドルで寄りついたが、たちまち二八三ドルにすべり落ちた。 ラジオ株にいたっては、午前中六八ドル四分の三であったのが、午後には下落の一途をたどり、 ついに四四ドル二分の一にまで暴落するというありさまだった。 景気の先行きに不安を感じた投資家たちが先を争って売り急いだため、ますます株価を奈落に追いこんだのである。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。