田中(義)内閣総辞職 1929/07/02
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用六月二十七日、田中は参内して、
「張作霖事件につき、陸軍、関東庁、満鉄においていろいろ調査致しましたが、
日本の陸軍には幸いにして犯人はないということが判明致しました。
しかし、とに角、事件の起こったことにつき、警備責任者の手落ちについては(行政)処分に致します」
と奏上した。
天皇は表情を変えて、
「田中が先に上奏した(厳罰主義の)言葉と異るではないか。責任は明確にとるべきである」
と述べた。
翌二十八日午前十一時、陸相が参内し、
「関東軍司令官、村岡長太郎を依願予備役、河本大佐は停職、事件当時の参謀総長斎藤恒中将は譴責と致します」
「総理のいうことは全然筋道が立たぬ、二度と聞きたくない」
と興奮した様子で語った。
「陛下の御様子では、拝顔は無理であると思います」
と答えた。
がっくりとなった田中は、官邸に戻ると、閣議の為集まっていた閣僚たちに報告して「オラは天皇の御信任を失った」と言って辞意を表明した。
田中が駿河台の西園寺を訪れると、西園寺は「いよいよ辞めるのか」と感慨深げに言った。
豊田穣 「西園寺公望(下)」
P.222この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
「田中(義)内閣」は「田中義一内閣」と同じ意味です。 |