金解禁
1930/01/11
日本経済再建のために金本位制への復帰断行。 だが、それは劇薬の投与でもあった。
    
1929/07/02   浜口内閣成立 (首相:浜口雄幸
1929/07/29   緊縮実行予算発表 (蔵相:井上準之助
1929/10/15   政府、全官吏の1割減俸を声明 (10/22 撤回)
1929/10/24   米・ウォール街、株価大暴落 (→世界恐慌)
1929/11/19   横浜正金銀行、ニューヨークで1億円のクレジット契約に調印
1929/11/21   大蔵省、金解禁に関する省令公布
1930/01/11   金解禁 (蔵相:井上準之助
1930/02/20   総選挙[17] (民政党273、政友会174、無産諸派5、他14)
1930/11/14   浜口首相狙撃事件 (東京駅/犯人:佐郷屋留雄)
1931/03/17   三月事件 (陸軍によるクーデター未遂)
1931/04/13   浜口内閣総辞職
1931/04/14   若槻内閣A成立 (首相:若槻礼次郎
1931/05/16   官吏減俸を閣議決定 (蔵相:井上準之助
1931/10/17   十月事件 (桜会によるクーデター未遂)
1931/12/13   犬養内閣成立 (首相:犬養毅
1931/12/13   金輸出再禁止 (蔵相:高橋是清
1932/02/09   血盟団事件@ (井上準之助暗殺)
〜 浜口内閣のもくろみ 〜
金解禁 → 経済安定/産業合理化 → 国際競争力アップ
taro's トーク ああああああ
引用浜口井上が、旧平価を選択した背後には、 政治的理由がひそんでいた。 もし新平価で解禁すれば、法律の改正を必要とする。 一八九七年(明治三〇)制定の貨幣法では、純金二分を一円とするときめられていたから、 この規定を変更しないことには、新平価解禁はできなかった。 ところが、浜口内閣は、田中内閣総辞職のあとをうけて成立した内閣であるから、 衆議院の勢力分野は前内閣時代と同じであり、民政党は第二党であった。 法律改正を議会に提案しても、政友会の反対で否決される恐れが十分あった。 旧平価解禁なら、たんに一九一七年(大正六)の金輸出禁止の大蔵省令を廃止するだけですむ。 むしろ、浜口民政党内閣は、金解禁を先にやってから、議会を解散して選挙にのぞんだほうが有利と判断していたのである。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。