錦州爆撃
1931/10/08
不拡大方針からわずか半月。 政府の面目丸つぶれの、関東軍による、張学良の本拠 錦州爆撃。
    
1931/09/18   柳条湖事件 (満州事変勃発)
1931/09/19   林奉天総領事、柳条湖事件は軍部の計画的行動と幣原外相に報告
1931/09/21   朝鮮軍、満州へ越境出動 (司令官:林銑十郎/統帥権侵犯)
1931/09/21   中国、柳条湖事件を国際連盟に提訴
1931/09/24   政府、不拡大方針を声明
1931/09/30   国際連盟理事会、日中両国に解決を要望する決議案採択
1931/10/08   錦州爆撃 (関東軍の飛行隊)
1931/10/17   十月事件 (桜会によるクーデター未遂)
1931/10/18   陸軍、白川義則大将の満州派遣を決定 (暴走する関東軍説得のため)
1931/10/24   国際連盟、満州撤兵勧告案可決
1931/10/26   日本政府、撤兵の前提条件を声明
1931/11/18   日本政府、満州への増派を閣議決定
1931/12/10   国際連盟、満州問題調査委員会設置
1931/12/28   関東軍、錦州への進撃開始
1932/01/03   関東軍、錦州占領
1932/01/07   スチムソン・ドクトリン (米、満州事変を不承認)
1932/01/28   上海事変@勃発
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用陸軍は、若槻内閣の不拡大方針、円満処理などの方針を無視し、 満州事変をいっそう拡大していった。
これに張学良が対抗した。 彼みずからは北京にいて、錦州に司令官代理張作相をすえ、政府主任に米春霖を任じ、これをあやつって、親日家に対するテロ、 北満への武力投入、ゲリラ戦の展開、各都市の不安醸成などをはかった。錦州は対日戦線の大きな基地と化した。
関東軍は十一台の飛行機を飛ばして、錦州に八十個の爆弾を投下し、市内の学校や病院を破壊した。 十月十八日のことである。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。