安達内相、政友・民政協力内閣を主張 (声明発表)
1931/11/21
この非常時には挙国一致内閣で対応! 若槻首相も納得の声明、安達内相が発表。
    
1929/10/24   米・ウォール街、株価大暴落 (→世界恐慌)
1930/04/22   ロンドン海軍軍縮条約調印
1930/04/25   統帥権干犯問題 (犬養毅鳩山一郎が追及)
1930/11/14   浜口首相狙撃事件 (東京駅/犯人:佐郷屋留雄)
1931/03/17   三月事件 (陸軍によるクーデター未遂)
1931/04/13   浜口内閣総辞職
1931/04/14   若槻内閣A成立 (首相:若槻礼次郎
1931/09/18   柳条湖事件 (満州事変勃発)
1931/09/21   朝鮮軍、満州へ越境出動 (司令官:林銑十郎/統帥権侵犯)
1931/09/21   中国、柳条湖事件を国際連盟に提訴
1931/10/17   十月事件 (桜会によるクーデター未遂)
1931/11/21   安達内相、政友・民政協力内閣を主張 (声明発表)
1931/12/11   若槻内閣A総辞職 (安達内相の辞任拒否で閣内不統一)
1931/12/13   犬養内閣成立 (首相:犬養毅
1931/12/13   安達前内相ら、民政党脱党
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用第二次若槻内閣にとどめをさしたのは、 井上の財政政策に反対する安達謙蔵内相一派の協力内閣運動であった。 英国マクドナルド内閣の挙国一致内閣にならって、安達らは、政友会との連立内閣をつくり、 この非常事態に対処しようとしたのである。 しかし、その背後には、ドル買い筋が暗躍していたといわれる。 ドル買い筋が思惑どおり利益をあげるためには、若槻内閣を倒して、金輸出再禁止をさせる必要があったのである。 三一年一二月一一日、若槻内閣は閣内不統一によって総辞職に追いこまれた。 二日後の一三日、政友会総裁犬養毅が後継首相に推され、同内閣は即日金輸出再禁止をおこなった。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。