若槻内閣A総辞職
1931/12/11
若槻首相 変心。 協力内閣問題で引くに引けない安達内相の辞任拒否で内閣崩壊。
    
1930/11/14   浜口首相狙撃事件 (東京駅/犯人:佐郷屋留雄)
1931/03/17   三月事件 (陸軍によるクーデター未遂)
1931/04/13   若槻礼次郎、民政党総裁就任
1931/04/13   浜口内閣総辞職
1931/04/14   若槻内閣A成立 (首相:若槻礼次郎
1931/05/16   官吏減俸を閣議決定 (蔵相:井上準之助
1931/09/18   柳条湖事件 (満州事変勃発)
1931/09/24   政府、不拡大方針を声明
1931/10/08   錦州爆撃 (関東軍の飛行隊)
1931/11/18   日本政府、満州への増派を閣議決定
1931/11/21   安達内相、政友・民政協力内閣を主張 (声明発表)
1931/10/17   十月事件 (桜会によるクーデター未遂)
1931/12/11   若槻内閣A総辞職 (安達内相の辞任拒否で閣内不統一)
1931/12/13   犬養内閣成立 (首相:犬養毅
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taro's トーク ああああああ
引用若槻首相は、民政党単独政権で、軍を押える自信を喪失していた。
「関東軍をして、政府の命令に服従せしめるためには挙国連立がよい。 政友、民政が連合して挙国内閣をつくれば、一党一派ではなく、全国民の意志を代表することになり、 その命令が軍に徹底するかもしれない」
それを内相の安達謙蔵にはかって、政友会の意向打診を依頼した。 安達は、政友会幹事長の久原房之助に話して、その同意を得た。 しかしこれには、幣原外相井上準之助蔵相とが強く反対をした。
「政友会と連合すれば、政友会は軍部とたずさえて事変拡大、満州独立という方針を強硬に押し出してくる。 これでは、意図とまったく反するものになる」
「経済についても、わが民政党内閣は金の輸出を禁止しつづけてきた。 ところが政友会は、金の輸出解禁を主張している。 連合することによって、輸出解禁ということになれば、わが党の面目はどこにあるのか」
幣原井上の論理に押された若槻は、今度は逆に安達を押えようとした。 安達は居直った。 「民政、政友両党の連立による挙国一致内閣は、あなたがいい出したことだ。 それを反対があったからといって変えるのはおかしい。 初心貫くべきだ。 それに私はもう政友会から、連立の諒解を得ている」
この民政挙国一致連立問題の不一致で、若槻民政党内閣は、総辞職せざるを得ないことになった。 昭和六年(一九三一)も押しつまった十二月十一日であった。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
「若槻内閣A」は「第2次若槻内閣」「第二次若槻礼次郎内閣」と同じ意味です。