若槻内閣A総辞職 1931/12/11
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用若槻首相は、民政党単独政権で、軍を押える自信を喪失していた。
「関東軍をして、政府の命令に服従せしめるためには挙国連立がよい。
政友、民政が連合して挙国内閣をつくれば、一党一派ではなく、全国民の意志を代表することになり、
その命令が軍に徹底するかもしれない」
「政友会と連合すれば、政友会は軍部とたずさえて事変拡大、満州独立という方針を強硬に押し出してくる。
これでは、意図とまったく反するものになる」
「経済についても、わが民政党内閣は金の輸出を禁止しつづけてきた。
ところが政友会は、金の輸出解禁を主張している。
連合することによって、輸出解禁ということになれば、わが党の面目はどこにあるのか」
幣原、井上の論理に押された若槻は、今度は逆に安達を押えようとした。
安達は居直った。
「民政、政友両党の連立による挙国一致内閣は、あなたがいい出したことだ。
それを反対があったからといって変えるのはおかしい。
初心貫くべきだ。
それに私はもう政友会から、連立の諒解を得ている」
この民政挙国一致連立問題の不一致で、若槻民政党内閣は、総辞職せざるを得ないことになった。
昭和六年(一九三一)も押しつまった十二月十一日であった。
戸川猪佐武 「小説 吉田茂」
P.41この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
「若槻内閣A」は「第2次若槻内閣」「第二次若槻礼次郎内閣」と同じ意味です。 |