血盟団事件@ (井上準之助暗殺)
1932/02/09
おまえこそがこの不況の元凶だぁ! と、井上前蔵相を血盟団のテロが襲った。
    
1930/01/11   金解禁 (蔵相:井上準之助
1930/11/14   浜口首相狙撃事件 (東京駅/犯人:佐郷屋留雄)
1931/03/17   三月事件 (陸軍によるクーデター未遂)
1931/09/18   柳条湖事件 (満州事変勃発)
1931/10/17   十月事件 (桜会によるクーデター未遂)
1932/01/28   上海事変@勃発
1932/01/31   井上日召・古賀清志海軍中尉ら、要人殺害計画を決定
1932/02/09   血盟団事件@ (井上準之助暗殺)
1932/03/05   血盟団事件A (団琢磨暗殺)
1932/03/11   井上日召自首 (血盟団事件)
1932/05/15   五・一五事件 (犬養首相暗殺)
1932/05/15   西田税暗殺未遂事件
1933/07/11   神兵隊事件
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用二月九日、昭和に入って第二の暗殺事件が発生した。
本郷区駒込の小学校講堂へ選挙の応援演説に現れた前蔵相井上準之助が、小沼正の為に拳銃で射殺された。 小沼は一人一殺を唱える井上日召の血盟団の会員で、日召は“国家革新”の為君側の奸である重臣を除いて、 新しい天皇親政の日本を造ると主張していた。 井上のほか日召のリストに上っていた者は西園寺を筆頭に、池田成彬幣原喜重郎若槻礼次郎、徳川家達、牧野伸顕、伊東巳代治、 団琢磨犬養毅らで、それぞれ暗殺の担当者も決まっており、西園寺の担当は池袋正釟郎という男であった。
引用昭和七年二月は、犬養政友会内閣によって一月に解散が行われ、総選挙の最中だった。
その九日夜、東京第二区民政党公認候補の駒井重次(東京駅で狙撃された浜口首相の親戚)の政見発表演説会が 本郷駒込追分にある駒本小学校で行われた。 午後八時すぎ、この駒井候補の応援演説のために、 民政党の前大蔵大臣井上準之助が電車通りに面した裏門から自動車を乗りつけた。 駒井候補は車からおりた井上を誘導するように二、三歩先を歩いていた。
この二人を迎えるため裏門附近は人が集っていたが、その群衆の中から、 突然一人の若い男が現れて井上の背中にぴたりとついた。 集っている人も何のことか分らないまま見送っていると、歩いている駒井の耳に、突然、 パチンという癇癪玉が破裂するような音がした。 駒井がうしろをふりむくと、井上はステッキをもったまま小さくかがみこんでいる。 つづいて二発、パチン、パチンと音がした。
井上のうしろに若い男が突立っていたから、駒井は瞬間変事を覚って、その男に近づくなり衿髪をとって 大外刈で地上に投げとばした。駒井は柔道三段であった。
そこへ会場の人もかけつけて、若い男をステッキなどで殴った。 警官に引渡したときに見ると、井上を狙撃した犯人のピストルは手の中に入るような小さなものだった。
井上は自動車に乗せられ、すぐに帝大病院に向った。 自動車がゆれると、痛い痛いといっていた。病院に運ばれたときはすでに意識を失っていた。
手術室に運ばれたときは、手のほどこしようはなく、八時十五分に絶命した。
引用昭和七年二月九日の夜、井上準之助民政党筆頭総務・選挙対策委員長が一青年のピストルに撃たれて死んだ。 井上は総選挙の応援演説のため駒込小学校におもむき、車から降り立ったところだった。 犯人はその場でとらえられたが、当初この事件の背景は明らかでなかった。 しかし1ヵ月足らずのち、三月五日の白昼、こんどは三井銀行から出たところを団琢磨三井合名理事長がピストルで射殺された。 井上を殺したのは小沼正、を殺したのは菱沼五郎という青年であった。
警視庁はこの二人の背後に、井上日召を指導者とする一群のグループのあることを察知し、 つぎつぎに検挙した。 検挙されたのは、井上日召と一一人の信奉者であった。 彼らは東京帝大、京都帝大、国学院の学生、小学校の訓導、農村青年であった。 日召らは、井上のほか、元老西園寺公望牧野伸顕内大臣犬養毅総理大臣床次竹二郎鉄相若槻前首相幣原前外相、三井の池田成彬らの政財界人をつぎつぎと暗殺する予定であった。
【中略】 井上日召のグループは郷詩会に集ったグループの一つであった。 一〇月事件後、 彼らはのちに五・一五事件の中心となった海軍の青年将校とともに決起して一斉テロを計画していたが、 海軍グループが上海事変で出征することになったため、 単独で決行するに至ったものである。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。